年金問題 こうなったのは誰のせい まるで他人事 岡田副総理

 民主党岡田克也副総理は自身のブログ「岡田克也 直球、健在」で次のように書いている。
 
 予算委員会は、テレビ入りの第4次補正予算の審議が衆議院参議院で、そして来年度予算の審議が衆議院で、何日間か続けて行われました。この中で私が心がけたのは、なるべく丁寧に、そして率直にお話しするということです。
そういう中で、年金の問題について、私の発言がメディアなどで少し報道されています。一部のメディアには、私が最低保障年金の提案を断念するという趣旨の報道もなされています。もちろん、それは間違いです。
私が心がけたのは、野党の議員の皆さんに対して、年金の抜本改革の問題をしっかりと協議したいということです。
年金に対する考え方は、野党が従来から主張している「いまの制度を前提にいろいろ改善する考え方」と、「いまの制度では限界があるという考え方」があります。
人口構成の急速な変化やライフスタイルの変化により、いまの年金制度の前提、例えば、夫婦のうち一方が働き、40年間1つの会社で働き続けるという厚生年金や、ある程度資産のある自営業者が加入する国民年金といった前提が、すでに全く変わってしまっています。
夫婦共働きが普通のことになり、職業も一生の間に転職を何度かするということが普通になったなかで、いまの厚生年金でいいのか。国民年金も、自営業者自身の資産があり、ゆとりがあるということでは必ずしもありませんし、国民年金の加入者の半分以上は、今や自営業者というより、非正規で働いておられる方々です。
このような新しいライフスタイルにも合った形での年金の抜本改革、つまり、どのような職業の人でも同じ制度に入るという「一元化」、所得の少ない人に最低保障をする「最低保障年金」と、所得に応じて保険料を払い、払った保険料に応じた額の年金が支払われる「所得比例年金」、この組み合わせがいいのではないかという考え方に民主党は立っています。
しかし、どちらかが絶対いいと言ってしまうと、協議にならなくなってしまいます。
そういう意味で、我々もいままでの国会の審議などでの厳しい言い方、例えば「いまの年金制度はすでに崩壊している」とか、あるいは、「マクロ経済スライド」という、いまの年金制度にある考え方について、「将来の給付削減につながる」と批判したことについては、それは言い過ぎたと、私は国会の答弁の中でも申し上げています。
そして、いまの制度を改善していくやり方と、抜本改革の両方を机の上に載せて、どちらがいいかを冷静に国民の立場で議論しようと申し上げています。
「どちらかしかない」と言ってしまったら議論にならないので、改善というやり方でやっていけるならそれも1つの方法だし、我々の抜本改革でやっていくというのも1つの道です。どちらがよりいいかということをきちんと議論してみるべきだということを、申し上げているわけです。
もちろん、私自身としては、いまの制度の改善ではなかなか難しいため、抜本改革しかないのではないかという思いを持っています。しかし、そのことを前面に出せば、もう協議ではなくなってしまうので、協議をしっかりするということを最優先に、ものを申し上げているところです。
残念ながら、いまのところ「抜本改革の旗を降ろさない限り協議には応じられない」と、何人かの野党の委員の皆さんに言われています。しかし、それでは協議とは言えません。
お互いが少し相手の立場を尊重しながら、胸襟を開いて、あくまで国民の立場で将来の年金制度のあるべき姿を議論すべきだと思っています。
 
以上がブログの記事です。

 
 私はこのブログを見てこれが政権党の№2の考え方かと正直驚いた。
 今までの、それが仕事だった政治家としての自己総括が全然無い。まるで他人事である。我々国民は少なくとも民意として、あなた方を国のかじ取りの責任者として、全権委任して来た結果なのである。それが例え以前に野党であろうが、立法機関の一員としての責任を言っているのである。こうなった責任を少しも感じてない。
 
 確かにその責任を除けば、言っている事はその通りとは思うが、余りにも自公の協議に依存した無責任な考えである。
 
 いづれにしても我々国民は、こう言う方々に日本の将来を託して来たかと思うと本当に情けない限りである