菅首相の「衆議院解散」の本心

 先日国会が土壇場で70日延長され丁度8月の31日までになった。この事によってますます菅首相の思い通りに事が運んだ。何と言う強運の持ち主なのだろうか。55年以来の自民党の政権が崩壊したが、池田隼人首相以来の戦後の政治史は、正に自民党の総裁の歴史が日本国の首相の歴史でもある。佐藤栄作田中角栄中曽根康弘竹下登これらの血で血を流す総裁の争いがそれを如実に物語る。日本国の総理大臣の椅子を奪い取るにはそれこそ必死の戦いだった筈である。それが2年前の政権交代以後のこの菅首相、本当に何もしないで鳩山さんの失態により、こんなに楽に日本国の総理大臣になってしまった。こんな幸運の人見た事が無い。その幸運の人も首相就任以来の失態続きで、今は与野党問わず全国民にレッドカードを突きつけられている。この落差は一体何でなのだろうか。思うに度々例えて悪いが、戦国の世の欲しい物は「腕づくで取る」式の緻密な戦略に欠けた菅首相の本質がそうさせたと私は考えている。つまりは器無きご仁に良くある、なれないヤツがなって有頂天の、公権力の強欲に他ならない。二度とこの権力は持てない。そう思えば思う程この権力の旨味は離したく無いものらしい。そう考えれば考える程余計思うのだろう。そう考えれば良く解る。
 
 人間はどんな人でも最終権力を手にすれば、その出来るものを全て行使したいものらしい。私は以前にあのバルカン政治家元自民党総裁、日本国66代総理大臣三木武夫の奥方の睦子夫人の手記を読んだ事があるが、流石の三木武夫も勝ち取った最高の日本国の権力を行使したかったそうな、ご他聞にもれず現在の菅首相もそうなのでないか。だとするなら、後世に名をよりも、最高の権力である「伝家の宝刀」を最後の最後に抜いてみたい、政治家として夢にまで見た、日本国で唯1人しか持ち合わせていない権利、そう「衆議院の解散」を私は菅首相は彼は必ずやると私は見ている。例えそれが現在の民主党の状況が厳しくとも、例え集団自殺と言われても必ずや彼はやる、いや、やってみたい誘惑に負けると見ている。自分だけしか考えない菅直人だからである。