相撲協会が八百長を「故意による無気力相撲」と言ってる限り明日は無い

 相撲の八百長問題が連日マスメディアで取り上げられている。
 私はこの問題を考える時違和感を持ったのが相撲協会八百長との言葉を使わないで「故意による無気力相撲」と言ってる事である。
 
 つまり相撲協会八百長を認めたくなく、「故意による無気力相撲」としてお茶を濁し、今回の事件をトカゲのシッポを切り、嵐の去るのを待たいのが見え見えである。いかに危機感に乏しいか、勿論今に始まった事ではないが、残念な事である。では故意による無気力相撲とはどう言う意味になろうか。直訳すれば「わざと、意図的に進んで勝負に勝とうしない事」とでもなるのかな。対して八百長とは「勝負事で、前もって勝敗を打ち合わせておいて、うわべだけ真剣に勝負する事。馴れ合いの勝負」。と言う意味になろう。見て解るとおり全く意味が違うのである。これから見ても相撲協会の意図は前記したように透けて見えるのである。協会はあくまでも今回が初めて行われ、過去には無かったとしたいのであろう。第一八百長をやって、今の名声を築いた部屋の親方達が、今の八百長をやった弟子に言える訳が無いのである。特に九重親方なんぞ何と思っているのか聞いてみたいものである。
 
 私は今回の事件を思う時、日本プロ野球黒い霧事件を思い出す。1969年(昭和44年)当時西鉄球団投手の永易将之が公式戦で暴力団関係者にわざと試合に負ける「敗退行為(八百長)」を持ちかけられ、それを実施していたことが判明。西鉄は永易をシーズンオフを以て解雇することを決定した。他に池永正明以下5~6人が野球界永久追放の処分を受けた。その時に今の相撲協会ような対応をしないでキッパリと毅然とした対応と処分があったからこそ今のプロ野球がある事を、相撲協会は肝に命じるべきではないのかと私は思う。まだ遅くは無い。日本相撲協会は過去に遡ってまでも八百長を解明し毅然とした処分と態度を示す事が、国技として国民から信頼を取り戻す最良の選択であると私は思っている。日本相撲協会の寛大なる選択を待ちたい。