民主党首選勝負あり

 最後まで記事の題名が決まらず悩んだ。
 「仲介には乗るな小沢一郎」「最後まで戦え小沢一郎」「どうした!小沢一郎」等々。
 すべては悲痛な応援メッセージだ。
 まだ戦いが始まっていないからと言われるだろうが。私はもうすでに戦いは終わっていると思っている。
 これは話し合い談合の様相を呈している。私は今回の小沢一郎の戦いに対する対応がこんなにも下手だとは思わなかった。何を気にし何に躊躇したのか、これは本人にしかわからない。
 当初鳩山前首相の支持を受けたあたりでは、恐らく勝てると踏んでの出馬であったろうと推測する。がやはり小沢の心の片隅には検察審査会の、これから出るであろうその結果が予想できない状況では、大儀が示せない、国民に示せないもどかしさを感じていたのではと私は推測する。それがその後に鳩山前首相の仲介に気持ちが惹かれた理由ではと思う。こう言う談合はNHKの土曜ドラマ「鉄の骨」を見るまでも無く仲介に耳を傾けた時にすでに勝負はついているのである。仲介に耳を貸すという事は、勝つ事が難しいか大変だと考えた時に、知らないうちに心を見透かされると言うか、乗ってしまう。今までの小沢一郎には考えられない失態である。これに乗ってしまえば、後は条件闘争でしかなくなる。つまり勝負の賞杯を捨てる事に他ならず、実を採るしかなくなる。つまり小沢一郎はこの段階で負けたのである。私には考えられない事である。どうして徹底抗戦を選択しなかったのか、勝てた筈である。その理由は大マスコミと私の考えは全く正反対である。世論と大マスコミと識者は「政治とカネ」に染まった人間はと言うであろう。私は違う。例え世論と大マスコミと識者がそう考えても、代議員たる国会議員の皆さんは、日本国の宰相を最終的に選ぶ時に、今までの消極的支持が何を意味するか、国民マスコミが知らなくても、その宰相の傍らにいての一挙一投足を見て知って入る者は少なくとも自らの心に聞くものと考える。
 おかしなもので人間少しでも弱みや、隙を見せればお終いである。なぜかそこに付け込まれるからである。特に建設談合や、密室の首相選びは、その席までの過程が物を言う。つまりその席の近辺に至るまでの過程でいかに努力したかが問われ、努力しないものはその資格さえないのが当り前である。そういう事を考えた場合に自ずから答えが出るのが普通の筈なのだ。残念である。小沢一郎が負けるとは。私は条件闘争をする小沢一郎を見たくない。もっと他の選択あったのに。