娘の死 「日薬(ひぐすり)」に救われて

 私たち夫婦は娘の死によって、毎日が憔悴しきった、何も出来ない日が続いている。
 先日妻の友人が訪ねて来られ、元気の無い私たちに「日薬(ひぐすり)」の良さを説いて行った。
 
 その話を総合すると、ある心療内科医の先生が教えてくれたそうな。
 
 最初私は真に受け、そんな良薬本当にあるの?と真顔で聞いた事が少し恥ずかしくもあった。何の事はないのである。要するに日にちが立つ事つまり時間の経過であった。なるほど日1日を過ごす事による、時間の経過と言う薬であった。
 
 娘を亡くしようやく三7日が過ぎた、確かに時の経過により、日1日と娘の事を想う気持ちが時間とともにいくらかではあるが変わって来ている事に気付いている。
 
 恐らくこのまま時間の経過とともに、その「日薬(ひぐすり)」によって、心の傷が癒されて行くのであろう。ある意味寂しいがそれによりまた人間として成長する事にもなるのである。娘の死を無駄にせずにそれを1つの契機と捉える事も娘は許してくれると思っている。
 
 いづれ私たちはその「日薬(ひぐすり)」によって救われていくのであろう。