八ツ場ダムと幻の細川内ダム (その2)

 徳島県の細川内(ほそごうち)ダムのあらましをウィキペディアから引用すれば下記になる
 台風23号による記録的な被害や、高度経済成長による水不足の可能性を背景に当時の建設省は、小見野々ダム上流の木頭村西宇地区に高さ106メートルの重力式、総貯水容量6,800万トンの巨大な特定多目的ダムを建設する計画を1972年(昭和47年)に発表した。これが細川内ダム(ほそごうちダム)である。このダム計画に対して木頭村(きとうそん)(現在は那賀町の一部)は発表直後から絶対反対の姿勢を貫いた。特にサラリーマンから木頭村村長となった藤田恵は、ダム反対条例などを制定して反対運動の先頭に立ち、建設省と一切の妥協を許さなかった。この細川内ダム反対運動はやがて全国に知られるようになり、多くのダム反対活動家や日本共産党朝日新聞がこれを支援した。1996年(平成8年)、第2次橋本内閣の建設大臣であった亀井静香がダム建設の凍結を発表し、2000年(平成12年)に計画は正式に中止となった。ダム中止の背景として、治水事業としてのコストがかさむことと、利水事業として水需要が伸び悩みこれ以上の需要が見込めないという理由があった。
 以上ウィキペディアによる。
 ここに1993年4月、細川内ダム計画反対などを公約に無投票で木頭村長に初当選した藤田 恵村長は1996年、ダムに頼らない村づくり計画の一環として第3セクター「株式会社きとうむら」を設立したが当初は大変な赤字だったが、コンサルタント会社の経営者を社長に迎えて現在は旧村の特産である「ゆず」を前面に売上を伸ばし順調に町おこしに貢献してると言う。結果論ではあるがもし、長野原町がこの木頭村のような状況を辿っていたなら、少なくとも政争の具にはされず違う町として発展していただろう事は容易に気付くと思われる。これは一種の人災ではなかろうか。