私の小沢一郎感

 選挙まであと2日となり、大方のメディアの予想は民主党の圧勝で、ほぼ間違い無いであろう。しかし民主党もよくここまできたものである。本当の二大政党の幕開けと言いたいところだが、圧勝となれば自民党は少数政党に陥り、数の上では単純に自民党の立場が民主党に変わっただけになるが、政治形態で言えばより民主化される事になろうと思う。よく考えれば前回の郵政選挙の時といいどうもわが国では何か、二大政党制は馴染まないような気がしてならない。これが今の偽らざる気持ちだ。
 民主党がここまで来たのは、私はやはり小沢一郎の存在があったからではないかと思っている1人である。若くして政権政党自由民主党の中枢に位置し田中角栄の秘蔵っ子として、帝王学を学び、また、人間としての付き合い方を学び、時には硬軟おり混ぜた政治手法が嫌われ次々に離党・結党を繰り返して現在に至っている。自民党幹事長当時より強面と見られ、かなりの議員が恐れ煙たがられている存在になっている。だからこそ自由民主党の当時からの面々は、小沢に弱く、小沢と面と向かって堂々と対峙出来ない連中が多いのである。小沢が来たちゅうと皆身構えるのである。
   自民党 小沢辞めたら 顔緩み それだけ苦手 かっての同士
小沢は自民党を離党して以来、二大政党制を目標としだからこそ小選挙区制に変え今それが目の前に来たと言うにあまりにも勝ち過ぎそうだ。

 私が初めて小沢一郎と逢ったのは確か私が40前の時の自治大臣国家公安委員長)の時だった。その時彼は42~43歳位だったと思うが、とにかく印象は若いなあと思った事と、ある種の羨望感を持った事を今でも強烈に覚えている。当時の内閣の大臣と言ったら皆年寄りで、議員暦で5~6回位でないとなれなかったからそう思ったのかもしれない。それ以来私は小沢一郎と言う男の虜になってしまったのは事実である。彼の師匠である田中角栄やまた、その師匠である吉田茂小沢一郎の著書はむさぶるように読んだ記憶があるが、特に小沢一郎が書いた日本改造計画は印象に残っている。特にその出だしに出てくるナイアガラの滝に安全柵が無いのは何故か、ごく普通の疑問に体が熱くなった事を非常によく覚えているし読んだ後わざわざナイアガラの滝を検証のため見に行った。彼は合理主義者で顔に似合わずロマンチェストである。彼を私が好きになったのは、男として約束は必ず守るし、言ってはいけない事は決して洩らさず、人間としての最低のモラルを持った人間だと私は思っている。彼の考え方は自己責任の民主主義者とでも言おうか、つまり、前に戻るとナイアガラの滝に安全柵が無いのは何故か、それはすべての人間は自分で自分を守ると言うか、つまり人のせいにしない、柵が無ければ危険を察知しもし子供がそこに行った時親が子供を守る、ごく普通の当たり前の事が今の世でないがしろにされてるのが、我慢ならなかったからかもしれないと私は思っている。またこの日本改造計画を読めば、この本に書いてる事の1/4位は現実に自民党政権で政策として行われているのに驚く。彼は先にも書いたが自己責任の民主主義者、簡単に言えば多数決原理主義者だ。だから短絡的に数に頼っちゃう、これが人に嫌われる最大の理由じゃないかと思う。でも私は好きだ。私も彼に似てて同じ事で嫌われるタイプだから余計わかる。私は潔癖症に近く、例えば人と約束すると、逢う時間の10分以上前にはもう着いて座ってるし、約束が守れない時は前もって最低でも1~2日前に相手に通知しないと気が済まず、約束を破ったり、時間に遅れたりすると、私の貴重なその時間を盗む事と同じと言ったり、普通の人から見ればそんな些細な事にめくじらをとなる訳である。損な性格なのだろうな。
 余談だが、小沢一郎も私もそうだが、№2(ナンバーつう)が好きなのである。何の会、団体等代表なんてならなくて良い。下働きが好きな性格みたいだ。つまりは自分の思った事を実行できるのが好きなのである。何の事は無い自分が仕切りたいだけだ。団体だと副理事長か事務局長、会社だと社長じゃなく副社長か専務と言う様に・・・・・。私は誰も居なくて社長になっちゃったが。