【冒頭発言】
獣医学部は、父親の代からの長年の悲願。私の代になってからも、文科省との接触、交渉をしてきた。そうした中で、私どもの常務(=学園の常務理事で事務局長の渡辺良人氏)がたまたま四国の今治市の出身で、彼が今治に戻ってきたときに、昔からの竹馬の友と酒を飲み交わし、ぜひとも今治を活性化したい、と強い希望を話したそうだ。今治を活性化するにはやはり、学園に出てきていただきたいとの要望があったそうだ。
私ども、県、今治市と三者一体となってやってきたが、ハードルが高く、前に進むことができないような状態だった。そういった中で、構造改革特区というのが出てきて、申請したらどうかということになり、10年にわたって15回、申請を出したけれども、5年経っても、7年経っても、10年経ってもなかなか事が前に進まない。
そのうちに県の職員の方々も、市の職員の方々も、これはいくらやっても壁が厚くてできないんじゃないか、と暗いムードが漂った。県の協力も得られないし、市の協力も得られないということで、私ども一人では到底できるわけではないので、そういう中で(渡辺)常務(理事)が勇み足をしたと言うか、事を前に進めるために、あのような誤解を招くようなことを申し上げた。本人は大変反省しており、学園全体として心からおわびを申し上げたい。
県から指摘があったように、コンプライアンスまたはガバナンスについては、これからはきちっと守っていき、県と市とも連絡を密に取りながら、前へ前へと進んで参りたい。
――学園の職員が柳瀬唯夫・元首相秘書官に会いに行ったのを当時知っていたか。
知らない。大きな流れは事務局から連絡があるが、細かいことは任せているので、詳細についてはわからない。
――どうして会見に渡辺事務局長はいないのか。
処分中で、控えさせていただいた。
――前回の会見では、2015年2月25日、安倍首相との面会について、『記憶にも記録にもない』との回答だったと思うが、その主張については。
あの後、記録を調べてもらったが、事務局も「ない」ということなので、ないんでしょう。
――2015年2月25日は加計理事長はどこで何をしていたか。
3年、4年前ですか。覚えていない。
――面会を否定する根拠は。
覚えていないし、記録もないから、出しようがないですね。
――会っているかもしれないし、会っていないかもしれないということか。
まあ会っていないと思う。
――なぜそう言えるのか。
記録がないからとしか言いようがない。
――首相と獣医学部の新設の話をしたのは、昨年1月20日以降ということだが、その通りなのか。
基本的には仕事の話はしないというスタンス。(安倍首相が)獣医(学部)のことをいつ知ったか知らないけれども、私が進んで、総理にこういう話をしたことはない。
――ただ安倍首相は学部や学科の話については加計さんから話があったことはあると言っている。
それは私の記憶では、総理に話をしたことはないと思う。
――学部設置が決まった後も話をしていないのか。
それはしたかもしれないし、ちょっと覚えていない。
――「仕事の話は一切しない」と前回の会見でも今回も言っているが、安倍首相は昨年7月、「時代のニーズにあわせて新しい学部や学科に挑戦したい」との趣旨の話は聞いたと言及しているが。
そういうふうに言われれば、したことはあるかもしれない。
――愛媛県文書には前後数回にわたり安倍首相と理事長の面会に関する話題が記録に残っている。それについて一切詰めることなく、(渡辺事務局長が)思いついた、と繰り返すことで説明責任を果たしているという考えなのか。
渡辺事務局長が、事を前に進めるためにそういう形のことを言ったということ。ですから処分しているし、私自身も処分させてもらっている。
――愛媛県の文章は全く目を通していないのか。
はい。
――何のための会見なのか。
コンプライアンスとガバナンスをきっちりと守っていきたいということで会見をしている。
ないと思う。
――ではなぜ書かれているのか。
県の文書なので、我々が関知することではない。
――今後、(愛媛県の文書に)目を通して、渡辺事務局長に聞き取ることは。
そうですね。はい。
――学部立地県の愛媛県内で、このタイミングで会見を開くことになった理由と、県議会の議決がなければ会見を開く気がなかったのか。
県議会の議決に基づいてと答えたけれども、時期は、やはり西日本豪雨で大変な被害に遭われたので、落ち着いた時期にしたいとは思っていた。たまたまシンポジウムをやっていたので、まだ安定はしていないけれども、落ち着いたということで、我々が日を合わせていただいた。
――今後、市民や県民に伝わる形での発信は。
これ『加計氏、首相と仕事の話「したことあるかも」 一問一答』と題した朝日デジタル2018年10月7日21時33分の配信記事である。
加計孝太郎理事長が今治市と三者一体となってやったこの獣医学部申請、10年にわたって15回、申請を出した結果、5年経っても、7年経っても、10年経ってもなかなか事が前に進まなかったこの事業、何故許可されたのか、それが愛媛県の保存資料にあったように、安倍政権の構造改革特区という政策によって日の目を見たと言って良い。穿って見れば、長年出来ないものを出来るように考えた政策を政治権力によって出来るように考えたと言っても何ら不思議はない。知らなかったよりそれ用に作ったと言えるほど悪質とも言える。この件の報道の経緯を見ればそれも納得出来るほど巧妙に合致する。それが事実とすれば安倍首相の政治を私的に利用とも言え程度の低い戦後政治の最大の汚点でもある。だがそれを指摘されながら当の安倍首相一向に反論しない出来ない状況は全く追認以上の何にものでもないし、それを「一点の曇りもなく真摯に丁寧に説明の美辞麗句」で終わらせる事は最早一国の宰相としての矜持にも値すると言える。