「首相は憲法改正できない」とした元自民党総裁で元衆議院議長でもあった河野洋平氏は自民党にあっても、やはり良識のある人物だった

 ――10月の衆院選後も、安倍1強、多弱野党の構図が続いています。
 
 「理由は民進党の失敗だ。政権を取る準備をしなきゃならん野党第1党が選挙の時に小池ブームに乗る態度が大失敗だった。ブームにすり寄って、野党第1党を築いてきた立場を捨てた」
 「安倍さんは背筋が寒かったに違いない。野党が自分でこけて安定した政権ができたが、次の選挙は安閑としていられない。与党が野党の質問時間を寄越せと言い出したのは、そういう自信のなさの表れではないか」
 
 ――小選挙区制で二大政党に収れんしていくと言われましたが、最近はむしろ遠のいています。
 「当時、政治学者や評論家はそう言っていたが、二大政党が本当にできるのかなと多分に疑問を持っていた。政党も有権者も試行錯誤している。制度が変わったら二大政党制ができるというのは机上の計算だ」
 ――なぜ政治改革が必要だと思ったのですか。
 「最大の理由はリクルート事件など政治資金のスキャンダルだ。国民の信頼を失い、政治不信を解消しようと思った人は英国の政治腐敗防止法を研究しようと思った。ところが途中から政治改革を求める声がどんどん高まり、大きなうねりが永田町の周りから渦巻いた『何をやることがいいか』となり、結局は小選挙区制にすることだった。政治改革の話はそこで止まってしまった」
 ――自民党内では反対論も多かったです。
 「真っ二つだった。あの時の党総裁として、どっちかにすると言ったら党は分裂していただろう。細川政権が譲歩する瞬間まで引っ張った。最後は政権側が自民党案をほとんど全部のむと言うのでダメですとは言えなかった。そこで合意した」
 ――導入から20年以上を経た評価は。
 「小選挙区制は失敗だった。以前のように(1つの選挙区から)原則3~5人を選ぶのでなく『全部3人区の選挙区を100作ったらどうか』という議論もあった。だが小選挙区制へ向かう大きな渦のなかでそういう声はかき消された」
 「小選挙区制が政治の劣化につながったといわれる。かつては派閥が若手を鍛えた。いまは党の仕事になったが、党は全く育てない。『魔の2回生』などといわれたが、小選挙区でなければ出ていない」
 ――政治改革に反対すべきだったという思いはありますか。
 「多少ある。だけど総裁だった僕が反対すれば、あそこで自民党は分裂してなくなっていたかもしれない。それは総裁として絶対できなかった。党を守り、バラバラになるのを防がなければいけないという責任感みたいなものはあった」
 ――政治家を育てるには何が必要ですか。
 「若手が跳ね上がって執行部に文句を言うとき、派閥は『骨は拾ってやる』と送り出した。にっちもさっちもいかなくなると、派閥が話を引き取ったり、妥協点を見つけたりする仕事をした。いまは若手が素っ裸で飛び出しても討ち死にする。だから妥協して権力に従う。若手は育たない」
 「かつての自民党には派閥抗争みたいな形で、戦闘力を持った批判勢力があった。いまは批判勢力が少なくなり、執行部が公認候補を決めてしまう。党外の批判勢力が頑張らなければいけない」
 ――自民党が野党だった当時に比べ、いまは迫力がないといわれます。
 「私は新自由クラブという少数党を作ってブームを起こしたが、6人が18人になっただけ。世論の期待値は上がっても、少数会派だから発言の場がなく何もできない。そのジレンマに悩んだ。立憲民主党への期待も高いが、50議席台ではできない。自民党は経験があり、数もあるからむちゃな主張でも通ってしまう」
 ――与党に対抗するために野党は1つの固まりになるべきでしょうか。
 「なるべきだ。だけど、まとめるときには一番多いところが譲らないとまとまらない。いまは一番多いところが引かない。ただ立憲民主党は『一番大きいから自分が譲歩しよう』と言うほど大きくないから難しい」
 ――緊張感のある国会にするには何が必要ですか。
 「立憲民主党にも能力、戦力のある人はいる。予算委員会でも週刊誌の切れ端を持ってくるのではなく、エース級に2時間でも3時間でも与えて、経済、財政、防衛、教育などの論争を徹底的にやらないとダメだ。2030分で質問者をどんどん代えているが、閣僚席になめられている」
 ――民進党はガバナンスが課題でした。
 「100の問題で全部同じ意見なんてあり得ない。大事な5つの問題は合意して、あとの95は主張は違っても我慢しないと。全部同じでないと排除していたら誰も残らない。(自民党には)僕だっていたんだから。バラバラでいい」
 
 ――安倍晋三首相は任期中に9条を含めた憲法改正をめざしています。
 「できないだろう。国民投票で惨敗する。安倍首相の支持率は低い。国民投票は提案者がいいかどうかで賛成したり反対したりする。事柄を研究して決めない。野党に配慮しようとすれば、自民党の後ろにいる強硬な右翼が反対する。そんなことに血道をあげる時間と労力があるなら他の政治課題をやりなさい」
 
 

これ『河野洋平氏「首相は憲法改正できない」 もがく野党 』と題した日本経済新聞電子版2017/12/2821:00の配信記事である。

 
 
どうして自民党の総裁になった人で首相になれなかった人物は良識を持った人物が多いのか?つくづく不思議に思うが、良識を持ったが故に首相になれなかったのか、はたまた無理強い出来ず、詰めが甘くてなれなかったのかは良く解らないが、党の難しい時に、白羽の矢が立つのだろうからか.
  もう一人の悲劇の武将?谷垣禎一も同じである。どちらもハト派に属する良識議員だ。ともにお二人に共通するのは、どちらも時が違っても宏池会と言う派閥の重鎮だった。ドロドロした関係を好まないのも一緒である。何かある事に調停役としてトップに推される。本当に都合が良い人のようだ。周りは一クセも二クセもある輩たちが多く、この輩たちがモメルと必ずと言って良い程このお二方に出番をお願いする。それだけ人が良く、悪い事の出来ない性格なのだろう。故人にもう一人加藤紘一と言う山形庄内を地盤とする議員がいたが、この方は野党が森喜朗内閣不信任決議案に賛成と言う所謂加藤の乱の張本人で、KYと言うか詰めが甘く、あの時も内閣不信任案がネットの状況を国民の総意と考え違いをして、結局賛成して失脚したが、後日談に興味深い話として、加藤が官房長官をしてた時に、公表のいらない年間30数億円と言う膨大なカネである内閣官房機密費を克明に記録してた事が漏れた時があったが、性格を表していると言える、プライベートに使うようなおかしなことに使ってなく、外遊する自党議員への餞別代が主と言う事が分かり、改めて加藤と言う男の性格が垣間見えたものだった。(今の菅官房は果たして何に使っているのか!)このお三方は詰めの甘さもそうだが、相手を利用してると思いながら実は利用されてると言った、性格の良さも災いしてる。やはり今の安倍首相のような、何て言うか他人に気遣う性格が無く自己中心に出来ない性格と見え、所詮は同じ釜の中(自民党)なれど、絶対に交わる事のない者として、考え方は正反対に近く、今までの安倍政治には不満が充満している裏返しが上記記事となって表れたものと解釈したい。また彼が安倍政治では「首相は憲法改正できない」とした考えは正にその通りと思う。安倍首相の驕りが萎えないのは、未だ国民投票で可決できると踏んでの事だろうが、彼が言うように今のあの安倍首相ではそれは無理だと言う事、未だ疑っていない愚か者と言えそうだ。でもそれが最後だろう。