参院予算委のとんだ茶番 野党民進の完全勝利と言えた!

 参院予算委員会25日の閉会中審査は、安倍晋三首相が加計学園岡山市)の獣医学部新設計画を知った時期に関する答弁の食い違いを野党側が集中的に追及する展開になった。
 「丁寧な説明」で信頼回復を図ったものの、傷を広げる格好となった首相は「おわびをしなければならない」「訂正させていただきたい」などと防戦に追われた。
 首相は通常国会で、計画を知った時期について「国家戦略特区に申請を(愛媛県今治市とともに出された段階」などと答弁。同市が申請したのは20156月で、同学園が事業者として申請したのは今年110日だ。
 首相は「120日の(同学園の)認定で知った」と改めて述べた上で、過去の答弁について「整理が不十分なまま答えた部分がある」「厳密さを欠いていた」などと釈明した。
 野党側は「全く信頼できない」「明らかな虚偽答弁」などと激しく批判。やじが飛び交ったが、首相は従来のような強気の反撃は封印。答弁時には手元の書類に目を落として確認しながら話す場面が目立った。
 前日の衆院予算委に続き、「私の友人(加計学園理事長)が関わることであり、疑念の目を向けられることはもっともだが、その観点が今までの答弁では欠けていた」と改めて反省の色を示すとともに、「事実に基づいて丁寧な上にも丁寧に説明したい」と述べ、「加計ありき」の疑念の払拭(ふっしょく)に懸命だった。
 
 
これ『「おわび」「訂正を」=安倍首相、防戦一方に―「加計」答弁食い違い・参院予算委』と題した時事ドットコム7/25() 20:01の配信記事である。
 
 
今回の閉会中審査、参院予算委員会のとんだ茶番劇と言えた。
こんなの国会予算の完全なるムダと言え、何の意味もなさないが、事の真相に関係なく、野党民進の完全勝利と言えるだろう。と言えば何を根拠に、お前はバカかと言われる方々が殆どだと思われるが、私は全然違う考えである。そもそも当初より、民進は今回の問題、全容を暴けるとは思っていなかった、いや解明は出来ないと思っていたと思う。何故ならこのような、便宜を図る事件は、実際の会話記録や映像的証が無ければ、それが証明できないからである。それでなくとも相手は内閣府である。権力者の牙城を崩すには完全に不可能と言えた。だが民進は、何もそこまで証明する必要等ないのである。相手の失点を国民に気付かせ、不信感を募らせれば事が足りたのである。首相が加計の申請をいつ知ったかと言う時期さえ確認すれば足りたのである。案の定安倍首相は「整理が不十分なまま答えた部分がある」「厳密さを欠いていた」などと釈明し、陳謝した。民進としてはこれで充分であった。何故なら疑義に足る発言だったからである。これをもって世論は、なんだ今までと違うじゃないかとして、与党自民に多少なりとも、信頼に足る政権ではないのでは、と思わせればそれでよかった。それで私が野党民進の完全勝利と言ったのである。今回の参考人である前川前文科省事務次官を名指しして批判した識者がかなりいるが、その方々は、識者を名乗っては居るが机上の論理だけの、要するに生きた現場を知らないカタワ者と私は思っている。何故なら人間と言うのは、どんな場合でもどんな時でも、どんなに偉い人間でも常に普通の人間だと言う事である。喜怒哀楽を平均的に有するのである。それがどんな有名な最高学府を出てもである。この前川さん、根は頑固なのであろう。融通も利かないところもあろうと思われるし、一般の人間みたいに、ヤッカミもあればプライドもあったろうと思われる。普通の人間に測れる損得も解かっていながらどうにもならない感情もあったものと私は理解してる。とにかく彼は「天下り問題」等で卑下された自分としての感情も含め、許せないところがあったものと私は考えている。彼にしてみれば、良し悪しに関係なく、自分のプライドを傷つけられたその一点ではと私には思える。でないとこれだけ表向きに時の上司であり権力者であるトップの総理大臣を敵に回してまで闘う意味が説明できないからである。今後を考えれば彼にとって何の利益ももたらさないからである。彼の気持ちは、権力者に諂(へつら)うだけでない、男の美学も私は感じた。
私事的には、役所と言うところに一昔も出入りし、権力者や忖度する役人と付き合って見てその裏表まで知り尽くした経験から言って、安倍首相が友人である加計孝太郎理事長に便宜を図らない訳等考えられなく、加計理事長も友人である安倍首相に便宜を頼まない方がかえって不自然である。私は当初より安倍首相が「私は便宜を図ってくれと部下にお願いしたが、部下に総理それは出来ませんと断られてしまったから、やれなかった」と言った方がより人間的で理解されたのではと思っている。昭和の今太閤田中角栄だったらそうしてたのではと私はそう思っている。