元東大学長の佐々木毅さんのコラム紹介

 今年の日本は他の先進国の政治のような驚きに見舞われることもなく、ほとんど唯一安定した政権の先進国という評価まで頂戴した。確かに他の先進国とのこの違いはどこから来るのかという疑問があってもおかしくない。ただし、アベノミクスが大成功したからという説明は政府からも聞こえてこない。
 英国も米国もグローバル化の先陣を切り、そのメリットを使うだけ使ったというべきであろう。次期米大統領のトランプ氏は今頃になって「米国第一主義」といった看板を持ち出しているが、グローバル化自体、隠れた「米国第一主義」だったのではないか。米、英両国は自国の利益を法や正義のレールに乗せて走らせるのが大得意であったことから、こうした見方は格段、極端な見方ではない。
「利を争うは即(すなわ)ち理を争うことなり」ということが国際関係の基本だということを、明治の初めに福沢諭吉は看破していたが、今でも日本では利と理を結び付けるのは欺隔(ぎまん)的だなどといった議論がはやる。もっとも、むき出しの利か別に美しいわけではない。
トランプ政権がむき出しの利でくるのか、それとも新しい理で「米国第一主義」を包むのかは大きな見どころである。これまで日本は理を米国への外注で済ませてきた傾向があったが、米国の動向によっては自前の理が必要になる。
 欧州連合(EU)諸国やユ一口圏諸国はこれとは全く違った状況にある。彼らは大規模な地域統合に乗り出し、国境の管理もすっかり緩めた。
 2度の世界大戦から学んだこともあったろうし、日米などとの経済的競争関係への意図もあったろうが、いずれにしても野心的な政治チャレンジに乗り出した。ここには理もあるし、利も潜んでいる。
 問題は統合の手順や程度を巡って自ら作った仕組みが逆にしがらみになり、経済政策面で選択の自由が少なくなってしまったことにある。
 ドイツを中心に財政均衡主義が強く、不景気への対応策も限られる。そこへ大量の難民問題が発生し、各政府はさらに窮地に陥ることになった。従って、この自縄自縛状態をどう整理し、組み立て直すかが課題となる。これは理と利か絡む政治の本当の仕事である。
 これら先進国と日本の違いは、グローバル化のレベルの違いにある。米国や英国がグローバル化から距離を置こうとしているのに対し、日本は「もっとグローバル化を」という段階にある。このため大量の難民はいないが、他方で外国企業の進出の少なさでも飛び抜けている。つまり、他国と比べて日本はほとんど変わっていない。これが海外からは日本の安定性と映り、必ずしもマイナスとは見なされなくなった。俗に一周遅れの先頭という皮肉な結果である。
 もう一つの大きな違い、特に欧州との際立った違いは、日本の放漫財政運営による政策の現状維持である。つまり、国内総生産(GDP)の200%にも上る財政赤字の累積によって政治の安定と時間を買っているということである。それでも他の先進国同様に、非正規雇用の増加などによる格差の拡大は否定できない。このような財政政策はいつまでも続けることができるわけではなく、おのずとタイムリミットがある。
 今、米国の金利が上がり始めているが、金利上昇こそ財政赤字という爆弾の強力な点火剤の一つである。何か導火線になるかは分からないが、日本は今の安定をのんきに楽しめる余裕はない。そもそも人口減少から地域間格差など、日本固有の累積する難題は何ら解決のめどが立っていない。その意味で今年は、他の国々で起こったことを横目に自慢話に身を委ねるのでなく、他山の石として謙虚に学ぶべき時である。
 新しい年は好むと好まざるとにかかわらず、世界中が波乱の年になりそうである。できるなら、この波乱と一緒になって右往左往するだけではなく、その背後に潜む歴史の流れを読み解くファイトを持ちたいものである。ピンチとチャンスは入れ替わり、根拠のない安心感は自ら墓穴を掘ることにつながることを念頭に置いて。(元東大学長 東京大学名誉教)
 
 
これ「波乱の背景、読み解く年に」と題したあるローカル紙1228日のコラム記事である。
 
 
私の大好きな学者である。毎週のコラム、時事を良く見て教えてくれるので本当に勉強になる。どちらかと言えば学者らしく、政治に対しては辛口だ。そこが私の好きなところでもある。今回のこの記事今年を締めくくり大儀な観点からであり、紹介したかったので新聞記事をいつもの如くOCRで記事にした。どうぞ読んだ感想コメ頂ければ幸いである。