天皇陛下の「生前退位」の意向がわかった これは一人前にない皇太子ご夫妻の背中を押すためか?

 天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を宮内庁関係者に示されていることが政府関係者の話で分かった。数年以内での譲位を望まれ、宮内庁は、近く陛下自ら国民に向けてお気持ちを表明する方向で調整を進めている。皇室制度を定めた「皇室典範」に天皇の退位に関する規定はなく、今後、皇室典範の改定を含めた議論が始まる可能性がある。

 陛下は現在82歳で、125代の天皇の位にある。2012年2月に心臓の冠動脈バイパス手術を受けた後は宮中祭祀(さいし)を減らすなどする一方、高齢となった今も、憲法に規定された国事行為や震災などの被災地のお見舞い、外国元首との会見など多くの公務を続けている。

 関係者によると、陛下は公務を大幅に削減することや、摂政などの代役を立てる形でご自身が天皇の位にとどまることは望まれていない。また、「憲法に定められた象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ」との考えを持っており、ご意向は、皇后さまや皇太子さま、秋篠宮さまにも示されているという。

 陛下は、天皇が象徴と位置づけられた現憲法下で初めて1989年に即位。皇后さまと臨んだ即位の会見では「憲法に定められた天皇の在り方を念頭に置き、天皇のつとめを果たしていきたいと思っております」と述べた。「象徴天皇」の在り方を求め、皇太子時代から続けてきた障害者施設への訪問のほか阪神大震災の被災地訪問などを続けてきた。即位10年の会見でも「障害者や高齢者、災害を受けた人々、あるいは社会や人々のために尽くしている人々に心を寄せていくことは、私どもの大切な務めである」と述べ、平成時代の天皇像を形づくってきた。

 宮内庁は陛下が高齢になるにつれ負担軽減策を探ってきた。08年12月に心労が原因とみられる不整脈などで体調を崩したことを受け、09年1月には式典での「おことば」の多くを取りやめるなどの軽減方針を発表。陛下は12年2月には心臓の冠動脈バイパス手術を受けたが、その直後の東日本大震災の追悼式には出席した。同年の79歳の誕生日を前にした会見では「今のところしばらくはこのままでいきたい」と述べた。

 一方で、両陛下が始めた行事を皇太子さまらに引き継ぐことも始めており、「こどもの日」や「敬老の日」にちなんだ施設訪問は14年を最後にしていた。宮内庁は今年5月には、国や地方の行政機関などの長との面会8件を取りやめるなどの公務見直しを行ったばかりだった。

 宮内庁によると、昭和天皇まで124代の天皇のうち、生前に皇位を譲ることは珍しくない。ただ、明治以降は天皇の譲位はなく、最後の譲位は江戸時代後期の光格天皇という。

 欧州の王室では生前退位は珍しくなく、13年には日本の皇室とも親交が深いオランダのベアトリクス女王ローマ法王ベネディクト16世が退位し、注目を集めた。【高島博之、長谷川豊】
 
 
これ『天皇陛下生前退位」意向 数年内に譲位望む』と題した毎日新聞7131924分の報道である。
 
 

 陛下の心を思うとき、本当にご苦労様と静かに申し上げたい。本当に大変だったろうとお察し申し上げたい。普通の国民であればもうとっくに定年退職し、好きな事をやりながらお暮らすのが当たり前の筈なのに、国の象徴が故に自由が許されず、本当にお可哀そうと思っていた。もういい、お気持ちを汲んでやるのが最大の理解者と考える。思えば皇室は各国の王室と同じである。諸外国の王室史を見るまでも無く、権力争いの象徴とも言える側面を持つ。皇室もご多分に漏れなかったのではと私は考えて居る。皇室典範に異議までしなければならなかった現状を理解したい。陛下は報道によれば5年ほど前からこの「生前退位」を考えていらしたとかと聞くが、私は秋篠宮文仁親王に男子(悠仁親王=ひさひとしんのう平成18年9月6日=現在9歳と10ヶ月)が生まれてから考えたと思っている。ちょうど皇太子に男子が生まれないからこその案だと思ってる。要約すれば、一人前に育たない皇太子ご夫妻(特に嫁の雅子さんと言う敬称はつけたくない)に業を煮やし、皇位継承を狙う秋篠宮文仁親王との争いを避けるための苦肉の策と言葉が悪いが、私はそう思っている。両陛下は本当に賢い。両陛下のお心を煩わし過ぎた、雅子の実家の小和田家の余りの程度の低さ加減が、このようなお心に向かわせたと私は思っている。