この春からはじまるフジテレビの“報道・生活情報チャンネル化”に期待したい

 この春からはじまるフジテレビの“15時間生放送”が何かと話題ですが、実はテレビ業界に関わる人々ほど、この改編を冷めた目で見ています。
 
 その理由は、「すでに他局が同じようなことを行っている」から。日本テレビはもともとそのような生放送の形態でしたし、TBS1時間再放送のドラマを挟んでいるだけ。テレビ朝日は『じゅん散歩』『徹子の部屋』のほか、『相棒』などの再放送ドラマこそありますが、その他は生放送。つまり、民放各局がそろって同じ方向へ進んでいるのです。
 
 つまり、テレビ業界の人々はフジテレビの15時間生放送に対して「何を今さら……」と感じているのであり、さらに「フジテレビがそれをしたらヤバイでしょ」と思ってさえいます。そして冷めた目で見ている最大の理由は、15時間のほとんどが報道・生活情報番組だから。
 
 15時間生放送の中に、フジテレビらしさの象徴だった『笑っていいとも!』のようなバラエティー番組があれば期待感は高かったのでしょうが、そのベクトルは真逆の「フジテレビらしくない」方向へ。不振が叫ばれている今こそ思い切ったチャレンジで立て直しを図りたいところですが、かつて視聴率争いでトップを独走していたからこそ、「目先の数字を追って、追い抜かれた他局に順化する」という悪循環に陥っているのです。
 
 「楽しくなければテレビじゃない」のキャッチフレーズで一世を風靡したフジテレビが“報道・生活情報チャンネル化”に舵を切ったという事実は重く、「いよいよテレビという媒体が危険水域に入った」ように見えるのです。
 

 ネットの発達で「好きなものを好きなときに見る」のが当たり前の時代になる中、テレビはなぜ「オンタイムで見たほうがいい、他局と同じようなものばかり放送する」方向に進んでいるのでしょうか?その答えは、みなさんお察しの通り、視聴率がほしいから。本当の視聴者ニーズではなく、広告収入の指標としている視聴率を基準に番組編成してしまうのです。

 
 多様性の担保が普通の時代に、まさかの報道・生活情報チャンネル統一化。朝から夕方まで、どこの局のどの時間帯も、凄惨な事件、芸能ゴシップ、生活情報を扱っている番組ばかりで、明らかにトゥーマッチなのです。加えて、夜のバラエティー番組も生活情報を扱ったものが年々増える一方、お笑い、ドラマ、スポーツ、音楽などの番組が深夜に追いやられる現象が続いています。
 
 報道・生活情報チャンネル化への懸念として見逃せないのは、生放送の魅力をそぐような番組内容。どの局のどの番組も、大々的に「生放送」と打ち出していますが、実際は「VTRをスタジオの出演者で受ける」形の番組が大半を占めているのです。
 
 特に「台本に沿って収録・編集された映像に、出演者がコメントをつけるだけ」の番組では、生放送最大の魅力である臨場感を味わうことはできません。出演者の力量が試されるアドリブや想定外の爆笑ハプニングなどはなく、わざわざ生放送という形態を採る必要はないのです。
 
 かつて、『笑っていいとも!(フジテレビ系)が国民的な人気番組となったのは、観覧者を入れた“公開生放送”だったから。テロップやナレーションなどに頼らず、出演者のパフォーマンスと観覧者のリアクションだけで臨場感のある番組を作っていたからこそ、「仕事の合間を縫っても見たい」という人が多かったのです。
 
 ただ、『笑っていいとも!』の後番組、『バイキング』(フジテレビ系)にもそのような臨場感やハプニングを楽しむ人気コーナーがありました。それは、『サンドウィッチマンの生中継!日本全国地引網クッキング』。料理そのものよりも、目当ての魚が獲れない誤算や言い訳、海岸に集まる現地人のハジケぶり、サンドウィッチマンの無礼な素人イジリなど、生放送らしい魅力であふれていましたが、昨年8月以来放送されていません。
 
 もし同コーナーを続行できない諸事情があるとしても、その他に生放送の魅力を感じるコンテンツは本当にないのでしょうか? それを見つけられないところに、報道・生活情報チャンネル化という問題の根深さが垣間見えます。
 
 このまま報道・生活情報チャンネル化が続くと、テレビはどうなってしまうのでしょうか。各番組の内容は、『週刊文春』『週刊ポスト』『週刊女性セブン』『週刊女性』などの政治経済と芸能、『ESSE』『レタスクラブ』『クロワッサン』などの生活情報というように、中高年や主婦向けの雑誌と似ていることが分かります。若年層はターゲットから外れ、彼らの“テレビ離れ”はますます進み、視聴者層はさらに高齢化しかねません。
 
 各局とも人気芸人やジャニーズ事務所のアイドルを起用して若年層を取り込もうとしていますが、その効果は極めて限定的。「好きなものを好きなときに見られる」便利で情報の豊富な時代では、好きなタレントがテレビ出演していたとしても若年層にとっては1つの情報に過ぎず、「どうしても見なければいけないわけではない」とクールな目で見ているのです。
 
 先日、ある大学生のグループと話していたとき、「最近のテレビってずっと似たようなネタばかり放送していて、CSニュースチャンネルみたいで面白くない」という発言に驚かされました。大学生たちの目には、民放各局が朝から夕方まで放送している情報番組が、CSの『日テレNEWS24』『TBSニュースバード』のようなニュース専門チャンネルと同じものとして映っているのです。
 
 大学生たちがそう感じるのは、MCやコメンテーターの顔とキャラクターが違うだけで、どの局のどの番組も扱うネタが似ているから。大学生たちは、「包み紙を変えているだけで、中身はだいたい同じものなんでしょ」と言いたかったのではないでしょうか。それでは番組という商品を買ってもらえないのは当然です。
 
 テレビが「高齢者のメディア」と呼ばれないために求められるのは、やはり多様性。報道・生活情報の“専門チャンネル”になるのではなく、バラエティー、音楽、映画、スポーツ、アニメ、ドキュメンタリー、教養など、さまざまな番組が見られる“総合チャンネル”であることを改めて示すべきときが来ている気がします。
 
 2月の月間視聴率で『ZIP!』(日本テレビ)が初めて『めざましテレビ(フジテレビ系)を上回り、民放トップの座に輝きました。『ZIP!』の特徴は、報道・生活情報の中に、お笑いのネタ、アニメ、クイズ、料理などのコーナーを入れて、多様性のある番組作りをしていること。朝の忙しい時間帯のためか、各コーナーは13分程度でサラッと見られるようにしていますが、昼・午後・夕方の放送であれば、15分・30分・60分の番組も可能でしょう。
 
 かつては小・中・高校から帰宅した学生が夕方のアニメやバラエティーを見て楽しんでいましたが、現在の学生はスマホに夢中であまりテレビを見ていません。このような視聴習慣のなさは、今後ジワジワとテレビの首を絞めていく気がするのです。
 
 たとえば、テレビ朝日が毎朝4時から『おはよう!時代劇』で過去の作品を再放送しているように、膨大なアーカイブを使って多様化を進めるのもひとつの手。さらに、系列ネット局の人気番組を放送することも可能でしょうし、各局ともにコンテンツは豊富なのにそれを使わず、目先の視聴率にとらわれすぎているのです。
 
 ネットの発達、ライフスタイルの変化、視聴デバイスの進化などの影響で視聴率が落ちているのは明白。選択肢が増えてテレビに依存する必要のなくなった視聴者は、民放各局が似たような番組で、減った視聴者を奪い合っていることに気づきはじめています。
 
 最後に書いておきたいのは、決して各局の制作技術が落ちているのではなく、問題は視聴率にとらわれた視野の狭い番組編成にあること。制作現場のスタッフは優秀な人が大半であり、さまざまな制約がある中で懸命に番組を作っています。だからこそ、彼らが伸び伸びと力を出し切れる番組編成になっていないことが残念でなりません。
 

 テレビという媒体そのもののピンチにいち早く対処し、本来の多様性を見せるのはどこの局なのでしょうか。難しさは理解しつつも、期待して見守りたいと思っています。木村隆志

 
 

これ『フジテレビ「15時間生放送」が示す本当の危機民放は減っていくパイを奪い合うだけなのか』と題した東洋経済オンライン3月26日830頃の記事である。

 
 
 私は良く解かります。特殊芸能テレビ社からの脱皮と捉えている。ようやくフジも目覚め他局とスタートラインに立とうとの表れとも思う。ただ以前の若年層取り込みの一敗地にまみれその悔しさを感じているベテラン他局員から見れば、この記事のように感じるのが当然だろうと思う。がしかしフジの挑戦はそれなりと私は評価したい。唯バラエティしか知らないフジが果たして報道まで出来るか注視したい。好意と受け止めている。