JR東海列車事故の賠償責任裁判判決に思う不可解さ 何か自己破産宣告と同類に思える


 認知症男性の家族に対する賠償責任が争われた裁判で、最高裁判所は1日、JR東海の訴えを退ける判決を言い渡した。男性の死亡事故による振り替え輸送にかかった費用などは、JR東海の持ち出しとなる。
 認知症の老親を持つサラリーマンにとっては、他人事と思えない裁判だった。午後の判決言い渡しが気になって、仕事が手につかなかった人も多かったのではないか。
 認知症やその疑いがあり、徘徊などで行方不明になる高齢者は年間1万人を超える。警察庁によると、2014年には、不明者の429人が死亡していた。今回のケースのように、線路に立ち入り人身事故を起こしたケースも、この10年で130件以上発生している。家族がちょっと目を離したスキにいなくなり、列車を止めてしまうケースは、決して珍しくないのだ。
 家族側代理人の弁護士は、同じように認知症患者を抱える人たちにとって、「判決は救いになった」と強調した。むろん、「責任あり」となっていれば、在宅看護をバンザイせざるを得ない人たちが続出したかもしれない。「画期的な判決」(代理人弁護士)と評するのも分かる。
 だが、実際に今回の判決で救われたのは、この家族だけだ。認知症患者を抱える人たち全員が救われたわけではない。
 
■人を殺した場合も責任はない?
 全国介護者支援協議会の理事長・上原喜光氏が言う。
「判決は、“認知症の人が起こす全事故について家族は責任を問われない”としたわけではありません。今回に限って例外が認められたに過ぎないのです。一般に認知症の人は、体に障害を抱えているわけではありません。カギが掛かったドアを自分で開けて外出できます。肉体はピンピンしているから、自転車にも乗れるし、歩行者と接触事故を起こす危険性もある。それでケガをさせたり、死亡させたりしたときも、今回のように“責任なし”が許されるのか。企業ではなく個人が相手でも同じなのか。今回の判決は、それらの問題についても、何ら示していないのです」
 認知症患者の中には、夜間譫妄を起こす人もいる。これも家族にとっては深刻な問題だ。
「幻覚や妄想などの精神障害です。私の身内も、夜中に目を覚ましたときに包丁を持ち出して、“変な人がいる”と暴れたりしました。場合によっては、刃傷沙汰に発展する危険性だってあるのです」(上原氏)
 列車事故などの場合、自動車保険や火災保険の特約である「個人賠償責任保険」で対応できる可能性もある。だが、殺人の賠償金をカバーする保険などない。
「今回の判決をきっかけに、国も自治体も国民も、認知症対策の在り方について真摯に考えるべきです。たとえば現在は、ひとりでお風呂に入れる認知症の人も、脳梗塞などで歩くのも食べるのも難しいような後遺症が残る人も、同じ介護の枠組みの中でごた混ぜになっています。本来は、五体満足の認知症の人は“精神介護”、体が不自由な人は“身体介護”と分けるべきなのです。その上で、それぞれでどんな介護が必要なのか、マニュアルを作り直す。不幸な事故や事件に対しても、社会全体で支えられるような取り組みを考えなければダメです」(上原氏)
 判決は出た。だが、認知症の老親を抱えるサラリーマンの苦悩は、まったく解消されていないのだ。
 
 
これ「JR事故訴訟 「賠償責任なし」でも救われぬ認知症患者の家族」と題した日刊ゲンダイ33日の記事である。
 
 
 もし私がこのような認知症患者の家族だったら、本当に喜んだろうが、もしこのような列車事故じゃなく殺人を犯してしまったのなら、おとがめなしでは終わらないだろう。見方を変えた加害者被害者が逆転してしまう。我々人間はズルイ。当事者から第三者では見方考え方が180度違ってしまう。これらと関連し、法律の不公正と不合理いつも思う事しばしばである。この場合のJR東海等被害者なのに泣き寝入りだ。また同じ債権者でありながら民法で言う個人の自己破産の場合も同じである。善意で貸した者も泣き寝入りである。しかもこの自己破産、裁判所も物件が数あり、忙しく深考しないのか、破産の経過までは考慮してないように見受ける。何故なら同じ破産でも、苦労して苦労してやったにも拘らず出来ない事柄や、仕事もせず女にうつつをぬかして借金した負債も同列に扱っているからである。これら等本当に法の不公正・不合理と言わざるを得ないからである。私はこう言う事に非常に欺瞞を感じる性質(たち)である。ああイヤダ!