第三次安倍内閣が発足した。私はいつもながら批判ばかりであるが、そうしなければならない理由がこの内閣の面々にあるので少し述べてみたい。
私は戦後の昭和22年から25年(1947年~1950年)までに生まれた団塊の世代の最初の申し子である。良くても悪くても戦時、国のために戦った日本人の子供である。時にはその悲惨さを父の口から直接聞いた世代でもある。そして今その我々団塊の世代の少し後の昭和26年から30年(1951年~1955年)まで生まれた、いわゆるポスト団塊の世代と言われる人たちが、我が国の政治を司っているのが現実である。
別紙表を見てもらえば解るが、この中で安倍晋三首相だけがそれを外れた昭和29年生まれだが、ほぼそれらの人々と同じ世代と言えるから同じと考えればある一つの傾向が垣間見れる。良く調べてみれば、間違っているかも知れないが、この世代は戦前の「修身」、我々の時代の「ホームルーム(H.R)」その後の「生活・公民」等学校で習わなかった世代ではなかったかと私は記憶している。何故私はこう言う話をしたかと言えば、学校で教えるのは学問だけでない、要するに世の常識等の事の良悪を習わなかった世代ではと思ったからである。現在の若い世代の両親たちが、公衆の面前で自分の子供たちが、他人に迷惑をかけている時に両親がそれがいけない事として子供に注意しない、事の良悪さえわからない世代が多いのではと思って居る。その一番良い例が先般の「安保法案」の可決である。確かにフリージャーナリストの櫻井よし子さんのような右寄りの人たちは、この法案の可決を喜んだのだろうが、結果の如何にこだわらなければ、憲法解釈の変更は少なくともおかしいし、本当にやろうとするのだったら、誰も文句の言えないような憲法改正が筋と言うものであり、言い換えれば、そのような人たちの先人を敬う、そして他人(国民)に気遣いする気持ちを持てない世代であると言う事である。そのような人々が今後国政を担う事を私は危惧するのである。