下村博文文部科学相が25日、新国立競技場問題で、安倍晋三首相に辞任を申し出ていたことを明らかにした。硬い表情でやや顔を紅潮させながらの「遅すぎるけじめ表明」だった。首相から慰留され、給与を自主返納するというが、関係者からは「遅きに失した」「説明責任はどうなった」などと厳しい声が相次いだ。
【下村文科相、唇かみ締め…】
日本陸上競技連盟の尾県(おがた・みつぎ)貢専務理事は、慰留されたとはいえ辞意を申し出たことについて、「これだけ大きく国民を巻き込む問題になった。下村氏は責任ある立場でありその判断はやむを得ない」と冷静に受け止めた。事業主体となる日本スポーツ振興センター(JSC)の体制強化に加えて、10月1日にスポーツ庁が発足する。「指揮系統を含めて組織間の連携をはっきりさせる必要がある」と指摘した。
槙文彦氏ら建築家グループで計画見直しを訴えてきた大野秀敏・東大名誉教授は「新国立競技場建設は日本の公的事業の構造的な問題を露呈した。責任があいまいな有識者会議が存在したり、第三セクターの予算などへの行政チェックが甘くなりがちな実態を示した」と指摘。「大臣が辞めれば済むのでなく、構造的な病巣をえぐり出す好機とすべきだ」と述べた。
組織論が専門の太田肇・同志社大教授は新国立競技場問題について「意思決定のプロセスや変化への対応が密室で行われたような印象を受け、集団的無責任体制という日本の組織の悪い面が表れている」と指摘。給与返納という責任の取り方については「自分に罰を与えたのだから許してくれという意味でしかなく、責任を取ったとはいえない。なぜ悪かったのか、どこに責任があったのかを国民の前に明らかにすべきだ」と注文する。
文科省のある幹部は「全然知らなかった」と驚きを隠せない様子。ただ、「記者会見が始まる時の大臣の表情を見て何かあるのかなと思った」と振り返った。別の幹部は「辞任といっても(10月予定の)内閣改造までの話だからねえ……」と淡々と受け止めた。
何の事ない、端的に言えばお役所的仕事の結果だったと言う事である。つまりこれだけの国家プロジェクトにかかわらず、類い稀な特殊建築物と言う観念を従来の学校建築の延長上としか考えず、さらにそれにも拘わらず、建築学の専門家や、それらに精通してる国交省にさえも相談せず、省域や、従来の省庁システムに固執した結果である。簡単に言えば、省庁のメンツを重んじ過ぎた結果とも言える。素人集団が従来の予算獲得延長線上に居て失敗したと言う事である。この教育行政の歪がもろに出た感じだ。だから当省庁の文科省未だ自分たちの責任なんぞ気付いてもいないのが現実でもある。だからこそ他人に言われるまで気付かない恐ろしい集団なのである。これが地方の教育委員会まで含めた常識のない恐ろしい集団なのである。実際にそこに入ってみて気付いた私でもあった。ホンに恐ろしいと言うより呆れた化石集団である(大笑い)