9月の自民党総裁選で「最大の波乱要因」(党職員)と言われてきた石破茂地方創生相(58)が、立候補を断念した。7月には「なんか自民党、感じ悪いよね、と言われるのが怖い」と発言し、ツイッターのトレンド用語に登場。さらに安保法制について「世論調査をみると、国民の理解が進んだと言い切る自信はない」とまで発言し、アンチ安倍勢力の期待を高めたが、結局は出馬を見送った。
気をもたせ続けた石破氏が最終的に立候補断念を決めたのは8月18日。都内のホテルに山本有二元金融相、鴨下一郎元環境相ら側近が集まって情勢分析したものの、出てくる声は「支持の広がりは限定的だ」などとネガティブなものばかりだったという。
幹事長留任を希望したものの受け入れられず、安保法制の担当大臣を要請されると拒否。側近からは「冷や飯を覚悟で無役にいるべきだ」との主戦論が高まった。その急先鋒だったのが浜田靖一氏、梶山弘志氏、小此木八郎氏らだった。だが、石破氏はブレ続けたあげく、山本氏ら“融和派”の意見を容れ、地方創生担当相として入閣した。石破グループの議員が明かす。
「山本氏は、もともと安倍首相と近く、よく会っている。主戦論者からは『ユダだ』と批判する声も上がっていました。この時から、側近議員の石破離れが始まりました」
浜田氏は今、盟友の小此木氏とともに、総裁選出馬を模索する野田聖子氏と近い関係にある。ベテラン議員の解説。
「浜田、野田、小此木の3人は1993年初当選組の同期で、当時から仲がいい。浜田氏は昨年、『石破は男じゃない』と愛想をつかしていた。梶山氏も石破氏と距離を置くようになった。今回、石破主戦論が盛り上がらなかったのもその影響が大きい」
石破氏といえば、腰の座らなさには定評がある。旧渡辺派から自民党を離党して西岡武夫元参院議長らとグループを組み、その後小沢一郎氏の新進党に参加、また離党して自民党に戻り、今度は旧小渕派に入り、また離脱という変遷。議員の間での人望のなさが前回総裁選の敗北の原因だったが、今回は側近から見放されたことが出馬断念につながった。石破氏の“再チャレンジ”への道は険しい。