惜しまれて亡くなった大物財務官僚、その裏にあるものは政治と行政の貧困が全てである

 裏表のない誠実の人だった。政策立案能力を誇示するように競い合う官僚集団の中で、他者を引き立てる無私の姿には、与野党を超えて「香川ファン」が存在した。その異彩の原点を聞くと、かみしめるように語り出した。
 
 「大蔵省(現財務省)に入省後まもなくして、同期の仲間を亡くしてね。その分、俺らは頑張っていかないといけないんだよね」
 
 木下康司元財務次官、田中一穂次官とは同じ昭和54年入省組。2人は「人間としても、能力も、香川にはかなわない」と尊敬のまなざしを向けた。
 
 平成27年10月に消費税率を予定通り10%に再引き上げするか否か。政界の流れが再増税延期に傾いていたとき、決して弱音を吐かなかった男が漏らした。
 
 「財務省のメンツのための増税ならば必要ない。俺が邪魔なら次官も辞める。でも、国家のためには本当に必要なんだ」
 
 増税反対派からの「財務省悪玉論」の矢面に立たされ、病と闘いながらも無私を貫いた。先月、次官退任の挨拶で首相官邸に車椅子で向かった際、駆け寄った安倍晋三首相は手を差し出し、「本当にありがとうございました」と深々と頭を下げた。(尾崎良樹)
 
 
これ「評伝 香川前財務次官 病と闘い増税批判に屈せず」と題した産経新聞10日800の報道記事だ。
 
 
記事を読めば官僚が官僚から褒められると言う事は凄い事と思うが、その凄いこの香川前財務次官が言った 「財務省のメンツのための増税ならば必要ない。俺が邪魔なら次官も辞める。でも、国家のためには本当に必要なんだ」と言う言葉に私は今の財務官僚の全てが凝縮してると思っている。一様に彼らは真に疑いもなく「国のためにどうしてもこれだけは必要」との使命感、これだけはどこの省庁にも負けない彼らだ。でも私はこれにいつも引っかかる。これはいつも小沢一郎の持論だが、現状がベストではないと言う事を彼らは忘れている。つまりトップの彼らはいつも国家のためには「小を捨てて大に就く」これが全てとも思っている。これを端的にあらわしたのが「消費増税」である。彼らは今これをやらなければ将来の国の行く末に禍根を残すと真に思っている。他人や政治屋が何を言っても聞かない。そして自らの足跡さえも振り返らない。だからこそ彼らの発想は現状がベストからしか出来ないのである。これが後ろを己の後ろを振り返り、国民に税を付け回す前に、果たして自らは余計なことしてないか、ムダ等ないかを考え事出来れば、つまり森を見て木も見る事出来れば、もっと気遣いのある政策を立案出来る事請け合いなのだが、それを指摘する頭の良い政治屋は皆無だ。だからこそ政策と言う政策に気遣いがないのが殆どなのである。これは端的には政治と行政の貧困が全てだ。
一つ例を挙げれば4年前の三陸沖の大地震である。今もって被災地被災者は苦しんでいるのに、それへの予算を平気で自分ら本庁や出先の庁舎の維持費用や年度末の余った予算を返しもせず次年度へ繰り越し、事務用品や呑み代にに付け回している。先年国土交通省の出先庁舎を久しぶりに伺ったら、いつの間に造ったのか立派な塀や庁舎の外壁が新しくなっていたし、心なしか庁内の机の数減ってはいるが、職員の数は増えていたように見えた。用務の人に聞けば、正式職員の数は減ってるが臨時職員の数や委託業者の数増えていたそうである。