安倍首相「安保法案」の思ったよりの国民の反発、それを逸らすがための「新国立競技場」の白紙撤回だ

 「2019年ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会には間に合いませんが、お許しいただきたい」
 安倍晋三首相は17日午後、首相官邸5階の執務室で、2020年東京五輪パラリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相にこう頭を下げた。
 それでも不満そうな表情の森氏に首相が示したのが、建設計画を見直した場合の工期などを示した1枚の紙だった。
 「ギリギリ間に合うと希望的なことを言ってできないとかえってまずいでしょう」
 森氏は、内容を確かめると小さな声で応じた。
 「それじゃ、やむをえませんね」
 首相が示したA4の文書は、国土交通省などが作成したものだった。もう一度、コンペをやり直して半年以内に設計を決定し、20年春に完成させ、五輪には間に合わせるという計画見通しが示されていた。
 首相が工期などの計画見直しを文部科学省に指示したのは6月2日頃だった。総工費や工期など現状計画の変更が可能かどうか検討するよう伝えた。
 「計画の見直しを再検討してみてほしい」
 これに対し、文科省の回答はかたくなだった。
 「できません」
 文科省は、国際オリンピック委員会(IOC)での首相演説などを根拠に、建築家ザハ・ハディド氏のデザインは「国際公約」と見なしていた。下村博文文科相も公の場で「既存計画を進める以外ない」と表明していた。
 ただ、12年にデザインを国際公募した際に「1300億円程度」という条件の総工費はふくれ上がり、6月29日の文科省の正式発表では2520億円になっていた。ロンドンなどの過去の開催地に比べても高すぎるとの批判は強まった。
 政府高官は「安全保障関連法案と違い、国立競技場問題では全部のマスコミが批判的だ」と警戒。首相も周辺に「アーチが無駄遣いの象徴のようになっている。世論が持たないかもしれない」と懸念を口にするようになっていた。
 また、安保関連法案の審議を通じ、内閣支持率はじりじり下がっていた。さらに五輪にも建設が間に合わないかもしれないとの情報に、首相が下村氏を呼んでただしたが、下村氏は「努力する」と繰り返すのみ。しびれを切らした首相はついに文科省だけでなく、国交省にもこう指示した。
 「では、私は現行計画を『見直す』。それを前提に検討してほしい」
■賠償「最大100億円」試算 首相、最後まで悩み抜き
 安倍晋三首相が新国立競技場の計画見直しで、国土交通省文部科学省に念入りに検討させたのは、2020年東京五輪パラリンピックまでに建設が間に合うのかという工期と、現行計画より総工費を抑えられる見通しが立つのかというコストの問題だった。
 加えて大きな問題となったのは、現行計画を白紙にした場合には、デザインしたザハ・ハディド氏側に支払うべき損害賠償などが発生する可能性があることだった。文科省はハディド氏側にデザイン監修料の一部として昨年度までに13億円を支払い済みで、契約解除時に違約金を支払う条項は設けていないと説明。ただ、政府の調査では、過去の判例から違約金や賠償金として「10億円から最大100億円」を支出せざるを得ないとの数字も出た。巨額の賠償金を支払うことになれば、新たな批判を呼び起こすのは確実だ。
 このため首相も最終決断に踏み切るまで悩み抜いていたようだ。首相は9日夜の会食で、次世代の党の松沢成文幹事長に「下村(博文文科相)さんは『絶対大丈夫』と言っている」と話し、松沢氏が「見直さないと世論が持たなくなる」と指摘すると、首相は苦り切った表情を浮かべた。
 また、計画変更の難関の一つは、五輪大会組織委員会会長の森喜朗元首相の説得だった。14日には自民党幹部から首相周辺に「森氏は変更に慎重だ」という情報が入った。今月末にクアラルンプールで開かれる国際オリンピック委員会(IOC)総会で森氏自身がメーン会場の説明をする予定になっているためだった。
 森氏には自分が説明し、説得するしかない-。審議中の安全保障関連法案の衆院通過後に森氏と会談する日程も前から入っていた。
 17日の首相と森氏の会談が終わり、下村氏や遠藤利明五輪相が執務室に招き入れられると、森氏はラグビーの合言葉を引用して言った。「首相が決めたことだ。みんなで団結してやろう。ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン(一人はみんなのために、みんなは一人のために)」 (水内茂幸)

これ『「白紙」の内幕 “難関”森元首相を黙らせたA4文書』と題した産経新聞7月18日15:50の報道記事である。

 この記事からも解かるように、やったにも拘らず、不評の「安保法案」だったから、このまま行けば内閣支持率の急落を確信しての最後のパフォーマンスを、組織委員会会長の森喜朗元首相にぶつけた。ところが報道から察するに、森さんはこのデザインの案が嫌いだったと言うから利害が一致し、互いに好都合だった。何の事無い世紀の祭典よりも政権と言う自分の事しか考えない「新国立競技場」の白紙撤回だったと言う事だ。だから死に物狂いだった訳と言う事だ。しかし、こうしてみると流石1億人の経済大国である日本だ。これほどまでのカネをかけ、そして変更できる「ニッポン」である。今後の世界各国の日本に対する反応が心配である。そんな事この権力亡者連中解るカナ。