今回の新国立競技場建設問題それの審査した者たちは建築家ではなかった?

 総工費が2520億円に膨らみ、見直しを求める意見が高まっている2020年東京五輪パラリンピックの主会場の新国立競技場の建設で、デザインを選定した建築家の安藤忠雄氏(73)が16日、東京都内で記者会見した。安藤氏は現行案を残しながら経費削減に向けた見直しは必要との認識を示したが、巨大な構造物を備えたデザインを選んだことが経費高騰を招いた関連性は否定した。
 建設主体の日本スポーツ振興センター(JSC)が国際デザインコンクールを実施して12年11月、イラク出身の女性建築家、ザハ・ハディド氏のデザインに決めた際の審査委員会の委員長。安藤氏は「選んだ責任はある。ただ2520億円になり、もっと下がるところがないのか私も聞きたい。一人の国民として何とかならんのかなと思った」と述べ、見直しを求めた。その一方で「国際協約としてザハ氏を外すわけにはいかない。そうでないと国際的信用を失う」と強調した。
  巨大な2本の弓状のキール構造で開閉式屋根を支えるデザインが経費高騰の要因となったが、五輪招致が決まった13年9月の時点で審査委員会と設計の関わりが終了しており、その後の総工費高騰には「消費税増税と物価上昇に伴う工事費の上昇分は理解できるが、それ以外の大幅なコストアップにつながった項目の詳細、基本設計以降の設計プロセスについて承知していない」と関与を否定した。
  選定時は1300億円の予算を前提に決定。技術的に困難な構造である上、資材や人件費の高騰を受け、総工費は昨年5月の基本設計時の1625億円から2520億円に増えた。デザイン選定の理由について安藤氏は「アイデアがダイナミックで斬新でシンボリックだった。16年五輪招致に敗れ、20年は勝ってほしい思いがあった」と述べ、斬新なデザインが五輪を勝ち取る上で重要な役割を果たしたとの認識を示した。
  安藤氏は実施設計を了承した7日のJSCの有識者会議を欠席しており、新国立競技場のデザインに対する批判が高まってから初めて見解を述べた。
  菅義偉官房長官は16日午前の記者会見で、新国立競技場建設計画に関し「整備額が大きく膨らんだ理由について国民の皆さんに説明が足りなかった」と述べた。「国民負担ができるだけ生じないように(競技場運営の)民間委託など、いろいろな工夫を考える必要がある」とも指摘した。建設計画の見直しについては「現時点では決定していない」とした。【藤野智成】

これ『<新国立>経費高騰「承知せず」 安藤氏、現行案継続を希望』と題した毎日新聞 7月16日(木)11時29分の配信記事である。

  建築の専門の立場からして言わせて頂けば、一般の皆さんのわからない部分を説明できるかどうかわからないが、誠意を持って見解してみたい。
 建築の世界は、工学的な部分と芸術的な部分とに分けられる。差し詰め建築家という職業は技術屋でなく芸術家の分野に入ると思われる。だから簡単に言えば安藤さんが言ってるように単にデザインのみでしか出来ない連中でもあるのである。だから技術系と違い構造的なあるいは経済的な分野は一切お構い無しである。これを最初に理解して無いととんでもない事になる。
 話はそれるが建築系は医学の分類に良く似ている。何故か。建築は大きく分けると、設計・計画・意匠系(デザイン)、構造系、設備・環境系に大別される。これを医学に例えれば、外科系、内科系、その他系(整形、皮膚、小児、眼科、産婦人)とに大別されるのに似てる。それは何故か。建築や医学を志した人間は皆そのジャンルのトップライトを夢見ての志望だ。だから誰もが建築であれば設計・計画・意匠系であり、医学であれば外科系である。だけども大学の教養課程が終わる頃、志望先はまたもや競争であり、当然にトップライト学科系が志望者数が多くなり、それに行けなかった者が他の科にしょうがないから行くのである。
 この記事に戻そう。記したように設計・計画・意匠系(デザイン)を選択した者が建築家となり、これらは建築の技術者でありながら、構造はてんで解かってないと言うよりは、デザインだけ考えても構造的にもつかもたないかは、構造系の人間が考えるのが仕事で、自分らのジャンルではないと考えてる人種である。笑い話であるが、著名な建築家の採用された宙に浮いたような素晴らしいデザインの建物が、実は柱がなくて立てれない代物だったというのもあった逸話も残っているのである。実は一昔前に「姉葉事件」なるものを覚えているだろうか。あのマンションという建物の構造計算をごまかし、一定の地震に耐えれないと問題になった事件である。事実建築業界はエライ迷惑を被ったのだが、唯一喜んだ業界もあった事お解かりだろうか。それが露見するまでは、いわゆる下(げ)の下(げ)と言われてた構造屋(構造計算を専業とする業者・設計屋)が常に下請けで構造の予算等無いといわれて、商売のため泣く泣く妥協してた構造屋がその事件以来、それこそ計画屋の言うなりだったのが引く手あまたの大繁盛、事実その存在価値が上がり、姉葉様々となったそうである。
 色々書いたが要するに建築家という御仁は建物がもつかもたないかは関係無しの芸術家だから今回のようなことはある程度頷けるのは理解するが、それを審査する者も建築家であるが、少なくとも大方の構造や予算はわかる筈だった。それくらいの器量は持ち合わせていた筈と言うのが大方の建築系の見方である。と言う事は、それを審査した御仁たちは目くらだったと言う事にもなる。つまり建築家ではなかった?と言う事でもある。