今盛んに論議されてる憲法と自衛の問題 事ある毎に政治家としてあるいは政治家はと出てくるが、そもそも彼らは政治家とは言えない

 憲法学者の長谷部恭男早大教授と小林節慶大名誉教授は15日、日本記者クラブで記者会見し、集団的自衛権の行使を可能とする安全保障関連法案について「憲法違反」との見解を重ねて示した。この中で、小林氏は「憲法を無視した政治を行おうとする以上、独裁の始まりだ」と安倍政権を痛烈に批判した。
  長谷部氏は、安全保障関連法案を「合憲」とする9日の政府見解について「何ら批判への応答になっていない。反論できないことを、むしろ如実に示したものだ」と酷評。小林氏は、政府見解が合憲と判断する根拠として最高裁による1959年の砂川判決を挙げたことに触れ、「引用は珍妙だ。(裁判で)日本の集団的自衛権はどこにも問われていない」と指摘した。
  長谷部氏は、自身を含む安保法案反対派の憲法学者に与党内から批判が出ていることにも言及し、「今の与党の政治家の方々は、都合の悪いことを言ったときには侮蔑の言葉を投げ付ける」と不快感を示した。 

これ『安倍政権は「独裁の始まり」=小林、長谷部氏が痛烈批判』と題した時事通信 6月15日(月)19時38分の配信記事である。

 ここまでこき下ろされる政権もまた珍しい。しかも、時の権力の中にあって政治家と言えどもそれなりに一目をおいて来た内閣法制局の意見や考えが、ここまで脅かされる事等無かった筈である。それがその法制局の長官までもが時の権力者の考えを追認するまでに至った事は、先の記事の学者の言葉を借りるまでも無く、正に独裁者政権と言っても過言ではないだろう。先日、福岡の引退した山崎拓自民党元副総裁や古賀誠自民党幹事長等の自民党長老までもが違憲だと反対する中で、何故これほどまでに拘り中央突破を図る独裁者安倍晋三、それほどまでに爺岸信介の悲願に拘るのか。秤に掛ければ日本国民より自家の爺やの方が重いのか。
 これを許せば、世界を相手に戦争をしたA級戦犯のそしりは免れないのではないのか。