サッカー日本代表監督を外国人にするのはステイタスか

 アギーレ監督解任で、サッカー日本代表監督の後釜候補は例によっていろんな外国人の名が取り沙汰されている。元鹿島のレオナルド氏、元名古屋監督のストイコビッチ氏、元ブラジル代表監督のスコラリ氏らが有力候補のようで、3月下旬のチュニジア戦などの親善試合から采配をふるう公算が大きいという。
 しかし、「サッカーを知らないくせに…」とのそしりは承知で言えば、なぜ外国人なのか、なぜ日本人監督はダメなのか。外国人なら高給を払い高級住宅や通訳も必要だが、問題を抱えていたとも知らず大枚をはたいて失敗しては世話ない。日本人にも優秀な指導者はいるし、ムダな金もかからない。いつも感じる素朴な疑問だ。
 「そろそろ考えてもいい時期」という専門家は「男女の違いはあるが…」と前置きしてこんな指摘をした。前回の女子W杯で優勝したなでしこジャパンは勤勉にボールを追い、ボールを奪ったら大きな相手に潰される前にワンタッチで回して外国を翻弄した。「日本人監督による日本人のためのサッカーだった」という。
 そんないい例があるのに男子で日本人監督が出ないのは、いくら理論的に優れていても、いまの現役のような海外での経験がまだない世代で要するになめられる可能性があるからという。代表選びにしがらみや雑音も入りやすい。金はかかっても外国人はそういった心配がないだけ無難らしい。
 とはいえ、外国人監督は有り難みが薄れもう誰がなっても同じにしか見えない。海外の実績はなくても、どんな大物選手とでもとことん議論し、グーの音も出ないほどに論破できる熱いハートを持った日本人監督が早くいでよ、と今こそ声を大にしたい。 (今村忠)

これ「【甘口辛口】サッカー代表監督、金はかかっても外国人は“無難” 日本人ではダメな理由」と題した産経デジタル=サンスポの記事である。

 大の野球ファンで、しかも少しでもサッカーに歩み寄ろうとしてる私がどうしても理解できなかった疑問を共有できる方が居たと思い喜んでいる。
 この拙ブログで私は何度かこの外国人代表監督の問題を批判して来た。何故日本語の解からない外国人監督を日本代表監督に選ぶのだろうかと言う事である。何故日本人では駄目なのかと言う事をである。言葉の弊害でとっさのコミニケーション取れないと思うのは素人か。それなりのサッカー通はスペイン語の監督か。それがサッカー界のステイタスか。