19日の理研調査委員会によるSTAP細胞の検証結果報告会見のアホらしさ、これでは理研なんぞ解体した方が国民のためである

 正体は胚性幹細胞(ES細胞)だった-。理化学研究所の外部委員会による調査が、紆余曲折を経たSTAP細胞問題に終止符を打った。誰が、なぜ、という核心部分の解明に届かなかった。科学研究における不正調査の限界に突き当たり、不正防止や対処で大きな課題が残った。
 「これだけ多くのES細胞の混入があると、過失というより誰かが故意に混入した疑いを拭えない」。調査報告書は、小保方晴子氏(31)による行為を色濃くにおわせながら、意図的か過失かも含めて特定できなかった。
 4種の細胞一致 7人の外部有識者による調査委員会は、実験の舞台になった理研の当時の発生・再生科学総合研究センター(神戸市)に残されるなどした計12種類の細胞のDNA配列を詳しく調べた。
 その結果、①STAP細胞に増殖能力を持たせたとする「STAP幹細胞」②増殖しながら体と胎盤の両方に成長させられるとする「FI幹細胞」③共同研究者の若山照彦・現山梨大教授の研究室のメンバーが9年前に作製したES細胞④小保方氏の研究室の冷凍庫から見つかった正体不明のES細胞-の特徴が一致し、同じものと判断された。
 小保方氏が若山氏の研究室に入る前に転出したメンバーが持ち去ったES細胞がなぜ利用されたかは大きな謎の一つだ。
 このほか、別のSTAP幹細胞とES細胞の特徴も一致するなどしたことから、調査委は「ES細胞の混入はほぼ断定できる」と結論付けた。
 小保方氏が実験をした当時の若山研究室は主に4区画に仕切られ、人の出入りが少ない区画に細胞の培養装置が置いてあった。STAP細胞の作製には7日間の培養が必要とされている。人の目に触れにくい夜間などにES細胞を混入させる機会があったという。

 任意調査に限界
 センター内の誰でも培養装置に近づくことが可能な状態で、調査委は、小保方氏を含め、多くの関係者に「ES細胞を入れたか」と聞いたが、全員が否定したという。混入の状況に迫りながらも、調査委員長の桂勲・国立遺伝学研究所長は 「過失か故意か判別できないし、人物特定も難しい」と説明した。
 調査は、関係者に趣旨を説明して資料を提出してもらう任意調査だった。小保方氏の実験記録の多くは残っておらず、150日間という調査期限もあり、限界があったとしている。
 不正が起きてしまマたことについて、桂委員長は「若山研究室で実験記録のチェックがなかったのが一番大きい」 「生命科学をやっているどこの研究室でも起こり得る。きちんとした研究室運営をするべきではないか」と指摘した。
 文部科学省はSTAP騒動を踏まえ、研究不正を防止するための指針を、「故意によらないものは不正としない」としていた旧版から「研究者としての基本的な注意義務を著しく怠った」ために生じる結果も不正に含めるよう改めた。
 理研は一定の結論が出たとして調査を終結するが、小保方氏や若山氏ら当事者の説明責任を求める声が上かっている。若山氏は「経験を踏まえ、このようなことが二度と起きないよう、質の高い研究と教育に全力を尽くすことで責任を果たしたい」とのコメントを公表した。
 
 「夢の細胞」をめぐる一連の騒動は一体、何だったのか-。26日、理化学研究所の調査委員会は小保方晴子氏(31)による担造をあらためて認定し、STAP細胞がなかったことはほぼ確実とした。前代未聞の不正に社会は揺れ続け厳しい目が向けられたが、寛容さが失われた今の時代の断面が表出したとみる識者もいる。
 「『研究犯罪』とでも言うべき許されない行為。多くの国民を振り回し、科学への不信感を抱かせた」。教育評論家の尾木直樹法政大教授は手厳しい。研究成果の発表当初は、再生医療の新たな展望が開けると大きな期待が寄せら
れていたことも重大視。「患者にいったん望みを持たせておいて、それを破壊した。こんな残酷なことはない」と批判する。
 理研調査委の報告書については、全容解明には至らなかったが、「一つの着地点になったと思う」と評価。一方で、STAP論文共著者の一流の研究者が不正を見抜けなかったことも判明し、「科学の倫理はこんなにいいかげんなものなのか」と疑念を示した。
 作家の雨宮処凛さんは「ふんわり系で、モテる女子を体現したような存在。科学の世界に希望の星として降臨した」と分析。問題がここまで世間の耳目を集めたのは、小保方氏本人の個性も作用していたとみる。
 壁がピンク色に塗り替えられた実験室、ムーミンのグッズや白衣代わりのかっぽう着は繰り返しニュースに。理系好きの女子を意味する「リケジョ」の言葉もちまたにあふれた。
 だが、論文の疑惑発覚後、小保方氏に向かった強いバッシングには違和感を拭えないという。
  「若い女性で成功した。報われない人が多い今の日本の社会で、一番たたきがいがある存在」。組織としての理研にも責任はあるはずなのに、「全ての責任を1人の人間に丸投げしている。楽な方法なのだろうが、あまりにもえげつない」。
 文芸評論家の山崎行太郎さんは「まだ誰もやっていない成果を追い求めるのが科学者。断罪するようなことは絶対に良くない」と小保方氏を擁護。一連の騒動が、寛容さを失っていく社会の風潮を象徴しているように見えてならないと振り返った。
  「正解しか許されない場所から、果たして世紀の大発見が生まれるだろうか」。今後多くの研究者が萎縮し、科学研究の現場に悪影響をもたらすかもしれないと危ぶんだ。

これ27日の共同通信の報道である。

 これと合わせて私は、19日の利権調査委員会の結果発表会見を見た。正直消化不良の感拭えなかった。理研の方々は国民の税金の上に成り立ってる、理研と言う組織を理解してなく、またその会見に同席したメディアの記者の方々も、何のその疑問に感ずることなく、理研の組織の追従でしかなかった。何を遠慮したのだろうか。理研に対しての質問でも、当事者理研は科学的論文と、科学者の立場を強調されまともな返答を得れないまま、終わってしまった。あれだけのメディアが雁首を揃えながらである。誰一人、理研に対して、「あなた方は科学研究者でありながら身分は公務員と同じである。国民に対するそれは返答に当たらない、もっと真摯に答えるべきであると追求し、改めてSTAPは無かったのか、そして小保方氏は何とこの問題を結論付けているか位までは答えさせるべきだった。当事者としてはあまりにも無責任な返答だった。こんなだから当事者理研とメディアはデキレースと言われてしまい、彼らが言う科学研究者としてのプライドは無きに等しかったと言えた。こんな抽象的な結果報告何ぞ聞いても無駄だった。残ったのはアホらしい空しさとメディア記者の程度の低さだった。やはりこんな組織、金食い虫以外の何者でもない、解体した方が国民にとって最良の方法だと私は思った。