安倍首相の自分だけの「身勝手解散」何が彼をそうさせたのか

2006(平成18)年9月20日小泉純一郎の任期満了に伴う総裁選で麻生太郎谷垣禎一を大差で破って自由民主党総裁に選出され第一次安倍政権を起立した。しかし2007(平成19)年7月29日の第21回参議院議員通常選挙で敗北し、いわゆるねじれの元凶を作ってしまったが、彼はその責任を取らずに続投した。がしかし、丁度ジャスト1年で辞任をしてしまった。これは政権を投げ出した事に他ならなかった。諸説は色々あるが彼は巷で言われているような、体調が悪くて辞めたんじゃない。今年の参院予算委員会で社民の吉田忠智党首の平成19年に週刊誌が報じた「相続税3億円脱税」疑惑についての質問にあるように、それらを含めた疑惑を党首討論で、当時の民主党小沢党首との党首討論での追及が恐ろしくて辞めたのであった。以来体調もそうだが、ほとぼりを含め、政権を揺り戻した自信と相まって、自分は何でも出来ると思ったのも理解はするが、選挙での僅か1/4ほどの得票での大勝は、選挙制度の欠陥に救われたと言っても過言では無い。彼はそれを国民の信任と勘違いし、何でも出来ると思ってしまった。それが「集団的自衛権の行使」の容認と「アベノミクス」の独断決議だった。結果、「集団的自衛権の行使」は半分以上の国民に理解されず、自画自賛してる「アベノミクス」も円安誘導の副作用にて、半ば失敗のレッテルをはられる始末である。そこに外遊帰りの飛行機の中で、報告を受けた内閣府が17日発表した7~9月期の国内総生産(GDP)の速報値が、前期比実質0・4%減、年率換算1・6%減だった事に顔色を失い、即決したのが衆議院の解散だった。これには、小渕大臣や松島大臣の疑惑追及に頭を悩ましていた事もあり、自分としては一石二鳥の感が頭を過ぎった事であろう。確証はないが相談した、菅官房長官や、甘利経済担当相は野党の足並みが揃っていない今だと、けしかけたと思われるが、思えばそれが失敗だったと、気付くのは、恐らく選挙結果が出る当日だろうと私は思う。まとまらず、右往左往してたバラバラ野党がかえって、この解散が結束の絆を強めてしまったと思っている。何故なら今の選挙制度では、サシの争いだからである。逆に野党に結束を促してしまった。何か巷の噂では、この絆の裏に、あの過去の人と言われていた小沢一郎が動いていたとの情報が漏れてきたところを見ればあながちデマとも言えないと私は思っている。いづれにしても 「賽は投げられた(さいはなげられた)」のである。この与野党の一騎打ち、思えば思うほど不思議な解散ではある。絶対多数を犠牲にしてうつような選挙では無いのに、安倍さん何を考えた何の選挙なのだ。本人曰く「政策変更(消費増税)だから民を問う」とのたまうが、それは善し悪し別にとうに不足8条にて立法にて解決済みである。何も解散して信を問うほどではないのである。それを大規模な政策変更だからと言うのは、単なるこじつけである。後出しジャンケンである。しかもそれはとう時の民主党政権時代の野党時代であり、しかも形では与野党3党合意だった。それより民の意思を問うんだったら、それこそ憲法解釈変更の「集団的自衛権の行使」や「秘密保護法」の方では無いのか。何の事無い、大義面文なんてどうでもよく、要は解散をやってみたいだけだったのであり、延命の片隅に、あの小泉純一郎のカリスマ姿を、自分と重ねたかっただけの「自分勝手」な思いがそうさせたと私は思っている。国民を舐めるのはいい加減にやめてほしい。それよりも現状を維持出来ず、タダの人にされる自民党議員の諸君たち良く従順でいられる、大したすごい人たちだ。(大笑い)