民主党前幹事長の細野豪志(42歳)に私はエールを送りたい

 細野豪志民主党前幹事長(42歳) 党再生・野党再編へ、あえて派閥化
 9日夜、東京・麻布十番。熱帯魚の巨大水槽が並ぶダイニングバーに、20人超の国会議員が集まった。民主党細野豪志日本維新の会松野頼久みんなの党江田憲司が立ち上げた勉強会「既得権益を打破する会」のメンバーだ。数時間前、みんなの党に離党届を出し、高揚する江田らを囲んで、維新の若手は「次は維新の番だ」と気勢を上げた。
 遅れて姿を見せた細野は、盛り上がりに水を差すようなあいさつをした。「私はまだ、民主党を諦め切れない」
 18日に新党を旗揚げする江田は、勉強会を舞台回しに、民主や維新を巻き込む構想を描く。「きょう集まった真の改革勢力を中心に野党再編をやりたい」。会合後、冗舌に語った江田とは対照的に、細野は報道陣を避けるように地下から姿を消した。
 この1週間以上前、細野は江田とは違う再編の道筋を見定めていた。
 11月30日夕、京都・栂尾(とがのお)山の高山寺(こうさんじ)。細野は茶室で居住まいを正すと、毛筆で記帳した。「自誓 平成二十五年十一月三十日 細野豪志
 自誓(じせい)。師から戒を授かることなく、自ら誓うことにより仏道に帰依する。明恵(みょうえ)上人の「八斎戒(はっさいかい)自誓式」に由来する。細野は高山寺で、自分が先頭に立って政権交代の再来を果たすと誓い、来年4月発足させる派閥の名称を「自誓会」に決めた。
 菅直人の「国のかたち研究会」、野田佳彦の「花斉(かせい)会」、前原誠司の「凌雲(りょううん)会」。民主党のグループは、自民党の派閥文化を否定するがゆえにサークル色が強く、複数のグループに所属する議員も少なくない。だが、自誓会では掛け持ちを認めず、企業献金を受け分配する。既に約10人と、他のグループに伍(ご)する数も確保した。ブレーンの一人には派閥政治を極めた田中角栄の元秘書、朝賀昭が座る。
 4日朝、都内のホテルに、朝賀が代表世話人を務める「豪志の会」を中心に約100人の経営者らが集まった。細野は派閥への支援を求め、言った。
 「過去を否定し、変わらなければ、未来はない」
 2000年に初当選した細野は、時の権力者に寄り添うようにして政界の階段を駆け上ってきた。
 京都大の学生時代に出会った前原を慕い、前原代表の下で党役員室長に引き上げられた。政権交代後の09年には、前原と対立してきた幹事長の小沢一郎に目をかけられ、選挙担当の副幹事長に。脱小沢を掲げた菅政権では3・11後の原発担当相を任された。
 しかし、華やかな経歴や知名度とは裏腹に、政界での評価は決して高くない。「小沢や前原の寵愛(ちょうあい)を受けて輝いてきただけだ」「優秀だが、トップリーダーにはなれない」。党内での冷ややかな見方は、代表選出馬に踏み切らなかったことで、いっそう強まった。
 昨年9月、細野は若手の小川淳也ら11人から代表選出馬の要請を受けながら、翌日に不出馬を表明。「首相になるのが怖かった」と側近に漏らし、「刀を抜けない」と批判された。だが、このとき初めて首相になる可能性と直面したことで、細野はトップリーダーを目指す覚悟を固めた。
 翌月、細野を推した若手・中堅十数人で自身のグループ「基本政策研究会」を組織。民主党を創設した鳩山由紀夫や菅を第1世代、細川政権が誕生した1993年以降当選の野田や前原らを第2世代、それに続く自分たちを第3世代と位置づけ、第3世代が党再生の先頭に立つと宣言した。
 ほどなく民主党衆院選で大敗し、政権の座から落ちた。細野は新代表の海江田万里に請われ、幹事長に就任したが、7月の参院選でも結党以来最悪の敗北を喫し、引責辞任した。
 無役になった後の動きは早かった。8月、ブログに「政治家としての第1幕は終わった」と記した。
 10月17日、議員会館の前原の部屋を訪ねると、細野グループの派閥化を伝えた。細野は前原グループと掛け持ちしていた小川や泉健太に対し、どちらにつくか決断を迫っていた。前原は不快感を隠さなかった。
 「コアメンバーに手をつけるな」。クギを刺すと、細野を牽制(けんせい)した。「俺は野党再編派だ。大局観を持たなければならない今、なぜ局地戦を仕掛けるようなまねをするのか」
 前原の警戒心を感じた細野は、決別を胸に刻んだ。「前原さんの後ろに控えていた自分とは、もう違う」
 前原は先月、行政改革をテーマに維新の橋下徹と連携を進める意向を表明。アクセルを踏み始めた。
 細野は今月初め、海江田を訪ね、告げた。「民主党を出て、新党をつくるつもりはありません」
 細野が描くのは、民主・維新・みんなを切り崩した新党ではない。それでは寄り合い所帯と非難され、ガバナンスを失って分裂した民主党の二の舞いだ。自誓会を通じて民主党を「風雪に耐えられる組織」に変え、維新やみんなの一部を吸収する。民主党を核にした「大きくなる再編」論だ。
 だが、当の民主党は政権転落から立ち直れず、党内を停滞感が支配する。「どうせ3年は選挙がない」「絶対敵失がある」「高みの見物をしていればいい」。民主党文化を真っ向から否定する派閥結成への拒絶感も強く、グループからは小川、泉、辻元清美が去った。細野への共感は広がらない。
 改革政党を標榜(ひょうぼう)し、政権交代を実現した民主党。その上り坂とともにあった13年間の第1幕を閉じ、細野は逆風の第2幕を手探りで進む。(二階堂友紀)
 

これ「(政々流転)細野豪志民主党前幹事長 師と決別、覚悟の第2幕」と題した朝日新聞デジタル12月15日05時00分の配信記事である。
 

 細野は戦後の庶民宰相だった田中角栄に己をダブらせているのではないのかと私は正直思った。現在42歳と言う年齢と、田中角栄の元秘書、朝賀昭を重用してるところを見たからなのか。田中角栄の元秘書軍団は当然ながら、自民党議員には行って居ず、殆どが民主党議員の中に居る。昔より永田町は表は議員の先生方だが裏に回れば、その実務は全て秘書軍団である。こう言う事からも若かった細野は、菅元首相後のチャンスに「首相になるのが怖かった」と思ったところに私は惹かれたのかも知れない。いづれにしても細野は覚悟を決めた。が彼が言うような、今の民主の延長線上には明日は無いと言うのが通説である。ここはやはり、橋下大阪市長が言うような、「地方分権」を旗印にした自民に変わり得る野党の再編が私はベストと考えている。そうなった時に私は即馳せ参じたい気持である。