今秋またもや恒例の褒章の季節である 日展入選数を事前に割り当ての報道に真の国民への貢献者が選ばれないシステムが見えて来た

 日本美術界で最大規模の公募展である日展「書」の篆刻(てんこく)(てんこく)部門の審査で、入選数を会派ごとの過去の実績を踏まえて事前調整する慣行があることが30日、関係者の証言で分かった。誰でも応募できて実力を試せることを特色とした公募展だが、審査のあり方に疑問の声も上がりそうだ。
 日展はこの問題で同日、対応を協議し、調査委員会を発足させる方針を決定。31日に理事会を開く。
 過去に審査員を務めた日展理事によると、審査の第1段階では、出品作の中から入選枠よりも多めに候補作を残したうえで、最終的に過去の実績などを参考に入選者を会派ごとに振り分ける目安があったという。「特定の会派に入選数が集中することや、全滅する会派が出るのを防ぐのが目的」と証言する。
 例年、「書」部門には1万点程度の応募があり、ある会派の幹部は「大量の作品を短期間でスムーズに審査するため、会派ごとの入選数の割り振り表が送られてきた」と指摘。入選経験者の九州在住の書家は「日展の審査主任は有力会派の持ち回りで自分の先生が担当する年はチャンス。入選者を事前配分する慣行は遅くとも昭和末期からあった」と、実態を明かした。
 日展には日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5科があり、出品料1万円で誰でも応募できる。
 

 これ『日展「書」入選を事前調整 篆刻部門、会派ごと振り分け』と題した産経新聞10月30日 22:27 の記事である。
 

 日展ばかりでない。この世のこの手の類(たぐい)は皆全てと言って良い。本当にその主旨に沿って選ばれ方は殆んど無いのが現状である。
 先日私の取引業者の従業員の方が褒章を受けた。私は褒章の制度に不信を抱いた。その方がどうのと言うのでは無い。その制度そのものにである。
 話を聞けば驚く無かれ、昨年より、業界に褒章の割り当てが貴方の会社に1つあるので、来年までその指名を挙げろと言われていたと言うのである。私は驚いたのはもちろんだが、褒章制度そのものと、それのムダを思い知ったのである。
 これ等まだ良い方なのかも知れない。地方の田舎でそれらを受けれるのは、全て消防功労者のみである。国のためひいては誰もがあの人はと納得する褒章は本当に稀である。聞けば地方自治体のお偉方にごひいきされた人のみと言って良い。しかし、あくまでも正当性を強調してである。
 思うに私はこれらだけでない。この国の全ての制度がもはや現状に馴染まなくなっているのである。それの元凶は私は全て霞ヶ関行政の疲弊と言って良い。この際多少の進展は遅れるかも知れないが、今こそ原点に立ち帰り、中央集権を改め、地方にその権限を移すべきと考えている。何10年もの間、染み付いたお役所的霞ヶ関行政を根本から改める良い機会と私は考えている。