日本の家電メーカーの凋落、スマホでIT化は終わったのでは?

 日本の家電メーカーの凋落ぶりが激しい。各社とも赤字経営はほぼ脱したものの、産業界を自動車とともにリードしてきた、かつてのニッポン家電の面影はない。独創的な製品を世に送り出すこともできず、巨額赤字の元凶でもあるテレビにいまなお固執し、「4Kテレビ」「8Kテレビ」と騒ぐ経営者は“無能”の烙印(らくいん)を押され、いずれ市場から退場させられるだろう。
[シーテック] 従来型との違いは? 4K有機ELパネルをジッと見つめる来場者
 9月の薄型テレビの国内出荷台数は、電子情報技術産業協会(JEITA)によると、前年同月比14・2%増の48万7千台と、平成23年7月以来、2年2カ月ぶりのプラスに転じた。その牽引(けんいん)役となったのがフルハイビジョンの約4倍の画質性能を持つ「4Kテレビ」。台数はまだ全体の1割にも満たないが、話題性という意味で、その存在感は大きなプラス効果をもたらしている。
  10月上旬、千葉・幕張で開催されたIT・家電見本市「CEATEC JAPAN(シーテックジャパン)」でもパナソニック東芝、シャープ、ソニーなど日本企業のブースを飾ったのは、4Kテレビおよび4K関連製品だった。しかし、家電各社は消費者が本当に4Kテレビを欲している、と考えているのだろうか。同時に4Kテレビが収益を支える“看板商品”に成長すると思っているのだろうか。
  テレビを生産・販売する日本の家電各社は、20年以上前から「高画質」を求め続け、それが最大のセールスポイントになると考えてきた。もちろん、テレビの画質は粗いよりも鮮明なほうが良いが、高画質だからテレビを買い替えるという消費者が今、どれだけいるのか。画質は当然のごとく向上すべき標準性能の1つであり、もはや差別化の技術とはいえない。
  百歩譲って4Kという高画質が付加価値となり、通常の薄型テレビよりも高い価格で売れても、その優位性は半年から1年。すぐに韓国、中国メーカーが日本製4Kテレビと同等の性能をもち、値段は3分2以下という低価格品を売り出し、市場をあっという間に席巻するはずだ。
  日本の家電メーカーの首脳、幹部の間にはテレビが売れに売れて莫大な利益を稼ぎ出していた古き良き時代の“テレビ神話”が今も忘れられない人が多いのだろう。しかし、ネットワーク時代の今、テレビは端末の一つにすぎず、利益を稼ぐことは困難だ。
  何よりパナソニックもシャープもテレビ事業の採算割れ、テレビの主要部品であるプラズマディスプレーパネル、液晶の過剰投資が経営不振を招いたということを忘れたのか。全世界を見渡せば、まだまだ需要旺盛なビジネスかもしれないが、浮き沈みの激しいIT・デジタル家電分野で、いまなおテレビを主力に位置付けている企業が勝ち抜けるはずがない。テレビは最先端の塊でも、数年もたてば売れば売るほど赤字を垂れ流す“枯れた商品”だからだ。
  なぜ、日本企業は米アップルのスマートフォン(高機能携帯電話)「iPhone(アイフォーン)」のようなライフスタイルを一変させる独創的な商品を作り出せないのか。米グーグルや米アマゾン、米フェイスブックのような新たなビジネスモデルを創出できないのか。
  日本人が欧米人に比べ独創性、創造性に乏しいのは国土、教育、気質、組織の問題といわれてきた。関西系電機メーカーのある関係者も「日本企業は短期的な利益を追求しすぎるため独創的な研究開発が敬遠される。一方、日本には独創的な技術を量産化する応用力がある」と話す。ただ、これらは、すべて言い尽くされた話でもある。確かに日本発の独創的な技術・製品は、欧米に比べ圧倒的に少ない。とはいえ、パナソニックも、ソニーも、シャープも世界中でビジネスを展開し、社員数も連結ベースで29万人、14万人、5万人という巨大なグローバル企業である。
  これほどの人材が働いているのにもかかわらず、独創的な商品がほとんど生まれないのは組織として問題だ。グローバル競争を勝ち抜くため、5年先、10年先を見据えた商品を生み出すのが経営者の優先すべき仕事であり、それができなければ無能の烙印を押されてもおかしくはない。「日本人に創造性を求めるのは難しい」。こんな一言で片付けてしまうのではなく、ハイブリッド車(HV)など次世代カーを相次ぎ生み出す日本の自動車メーカーにもっと刺激を受けるべきだ。
  パナソニック(旧松下電器産業)は、ライバル企業による業界初の商品を研究し、それよりも高性能で低価格の商品を販売。「マネシタ」と揶揄(やゆ)されたが、これはパナソニックだけでなく、日本の家電メーカーの多くに共通するビジネス手法のひとつだ。極論かもしれないが、今の日本企業の独創性のなさは高給をちらつかせて技術者を引き抜き、売り上げを拡大してきたサムスン電子など韓国勢と大差ないのかもしれない。
  しかし、日本的な手法は今後通用しづらくなるだろう。デジタル技術の進展で家電製品は汎用化され、驚異的なスピードで低価格化が進むため、“マネシタ商法”では利益を上げることができないからだ。世の中を独創的な商品であふれかえさせろと言っているのではない。数年に一度くらいはライフスタイルを変える新製品を世に送り出すことができなければ製造業としての魅力も、未来もないといっているのだ。それができない日本の家電メーカーの「Xデー」は意外と早く訪れるだろう。(島田耕)
 

これ「なぜ日本の家電企業はTVに固執するのか 4K、8K…需要あるの?」と題した産経新聞 10月30日(水)6時0分配信記事である。
 

 戦後復興日本の象徴はテレビだった。1959年の天皇皇后両陛下のご成婚そして1964年の東京オリンピック。また白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機の三種の神器と謳われた時代よりテレビは常に我々庶民の主役であった。白物家電の栄華が忘れられないのだろうか。日本経済の復興と共に歩んで来たこのテレビは日本の象徴と思っているのだろうか。しかし今はITの象徴として、スマホにとって代わられてしまった。これからの日本を背負って立つ若者達はもうテレビ等あてにしなくなってしまったのである。もうリアルタイムの情報機器の時代になってしまったのである。
日本の電機メーカーは気付くのが遅かったと言える。惜しむらくは、我々が子供時代にテレビの前の団欒と言う家族のコミニケーションが、廃れてしまったと言う事ではないだろうか。