フジテレビ 女芸人11人が「27時間TV」総合司会? 何を考えているのだこの芸能テレビ社は

 お笑いコンビ、オアシズ光浦靖子(42)、大久保佳代子(42)ら女芸人11人がフジテレビ系「FNS27時間テレビ 女子力全開2013 乙女の笑顔が明日をつくる!!」(8月3、4日放送)でメーンパーソナリティーを務めることが29日、分かった。(サンケイスポーツ
 前身番組で1987年スタートの「FNSスーパースペシャルテレビ夢列島」を含め、女芸人がメーンパーソナリティーを務めるのは初。11人の中で既婚者はお笑いトリオ、森三中大島美幸(33)と村上知子(33)のみで、1月に椿鬼奴(41)、2月にはハリセンボンの箕輪はるか(33)が交際男性と破局したことを告白しており、破れかぶれ?の“女芸人パワー”で番組を盛り上げる!?
 注目は、日本テレビ系「24時間テレビ36『愛は地球を救う』」(8月24、25日放送)でチャリティーラソンに挑戦する森三中の大島。現在マラソンに向けて肉体改造に取り組んでおり、本番ではシェイプされたボディーを披露することになりそう。
 11人は本番中ほぼフル稼働で、亀高美智子プロデューサーは起用理由について「いつも体を張って笑いを届けてくれる彼女たちは、乙女の一面も持っていたりする。そんな彼女たちの不屈の生きざまが、日本に元気を与えてくれると信じています」と期待を寄せる
11人の“サポート役”として、2008年に総合司会を務め、00年から人気コーナー「さんま・中居の今夜も眠れない」に出演する明石家さんま(57)がメーンアシスタントとして登場。マツコ・デラックス(40)も“相談役”としてサポートする。
 進行役はフジテレビの生野陽子(29)、加藤綾子(28)両アナウンサーが担当。まさに“女子力全開”で「27時間」を突っ走る!
 

これ産経新聞の記事である。
 

 私はかねてよりこのフジテレビと言うテレビ局、芸能テレビ社と名を替えたらと何度も言って来た。確かにこれは私の主観である。
 よくもまあこう次から次えとくだらない番組考えれるものである。(もちろん私だけの考えであるかも知れないが)
 昔テレビを見れば、1億総白痴化と誰かが言ってた。私はその通りだと思う。そしてそれはこのテレビ局を言ってるのだとも思う。
 私は基本的にテレビは見ない。報道を別にしてである。何故ならお笑いと言いながら、ちっともお笑いになっていず、バラエティ番組の司会者やそのアシスタント、レポーター、クイズの解答者などの立場で出演し、面白い事を言ったり、なにかの行為をする際に失敗して見せたりする事で、笑いを誘発してるのが現状だからである。要するに笑いが低俗になってしまったのである。
 昔の事を言えばまたもや現代の若者に笑われるだろうが、いつの世も笑いの本質は同じではないのかと私は思っている。思えば最近落語の面白さを忘れてしまった。落語家が落語をやらなくなったのか。演芸場がなくなってしまったのか。私みたいに田舎に住んでれば、舞台での芸を見てなく、その情報も無いからなのか良く解からないが、いづれもしてもお笑いの定義が変わってしまったように思える。昔のお笑い芸人は面白かった。古今亭志ん生や同じく志ん朝立川談志あるいは、喜美いとしこいしのお二人、オール巨人阪神のお二人等、その時ではなく、見た後の帰路での落ちのおかしさを思い出して笑わせるお笑い居なくなってしまった。さびしい限りである。思えばいつからそうなったのか。私はこの原因、昔は林家三平、現代は吉本興業が原因ではと私は思っている。林家三平は邪道にも、実力で笑わせられず、客席に合図して笑いを強要した。吉本興業は時代と共のテレビ化に一役を担い、修行をさせずにテレビに送り出した事である。またそれが無知な若者やエンタしか見ない層に、フジテレビと共に強要しまたそれが受けた。もっとも吉本やフジはそれを使い捨ての様にした。替わりはいくらでも作れたからである。
 
 話を記事に戻せば、このフジテレビ、お笑い芸人を12人も使って1日中それをやるという事を考えれば私は何をかいわんやである。また、その番組のスポンサー、何もかんじないのだろうか。こんな事やってれば、いづれテレビ離れが確実に起きる事請け合いである。
 
 これらに関連して私がいつも不思議に思っている事がある。それは離婚・結婚・出産等を当の本人が、わざわざそれをマスコミにFAX等で流す事である。私にはそんな事どうぞご自由にと言いたい。わざわざ我々に通知等してもらいたくない。そんな他人の事、ましてやお笑い芸人がどうなろうと私には関係ないのである。何かの著名人だったらやぶさかではないと思っているが。マスコミの記事が、枯渇しているからだろうか。また、お笑い芸人等が、話題性をとって復活したい手段なのか解からないが、どっちもどっちと思う。いづれにしても日本は平和である。そんな暇があると言う事だ。
「他人の好き好き笑うのバカよ」と思いながら、どうにもならない気持ちで一杯である。