高血圧治療薬の効果をめぐる論文3本が相次いで撤回され、研究の中心メンバー、松原弘明京都府立医大教授が辞表を提出した。これらの論文は製造元の企業が効果の高さをうたう宣伝に使ってきており、現場の医師の判断がゆがめられた可能性もある。日本の臨床研究の信頼を揺るがす深刻な事態だとして、関連学会も対応に追われている。
■高血圧患者のデータ「不自然」
研究に使われたディオバン(一般名・バルサルタン)の昨年の売上高は1083億円。製薬大手ノバルティス日本法人の製品別売上高トップの看板商品だ。
松原教授らの論文は2004年から行われていた臨床研究に関するもので、「他の薬と比べて、血圧を下げる効果には大きな差はないが、ディオバンをのんだ人たちで高血圧がかかわる脳卒中や狭心症などのリスクが半減した」と結論づけていた。
しかし09年の発表直後から、「血圧の下がり方が他の薬と変わらないのに、リスクだけ下がるという結果は不自然」といった指摘があった。松原教授らは「アジア人、特に日本人では血圧の低下にかかわらず効果が高い」と反論していた。
だが昨年4月、京都大医学部の由井芳樹助教が「異なる薬を使っている患者間で、血圧の平均と、(ばらつきの指標の)標準偏差があり得ないくらい一致している。私には大変奇妙に見える」とする懸念を英医学誌ランセットに発表した。
その後、松原教授らは欧州心臓病学会誌に掲載された主論文について「3千人分のデータのうち12件で不注意による誤記があった。これらを省いても結論には影響しない」と訂正を申し立てた。だが学会誌側は「致命的な問題」として、異例の論文撤回に踏み切った。
また日本循環器学会の雑誌に関連論文2本が掲載されたが、同学会は「(撤回を報告した)編集委員会と理事会で誰からも異論が出ないほど数多くの解析ミスがあった」と指摘。松原教授側も指摘を認めて撤回を受け入れ、2月5日に「撤回を深く受け止め、今後は堅牢な研究実施体制を構築していく」との見解を発表していた。
■学会が調査を要請
高血圧治療薬は種類が多く製薬企業間の競争が激しい。企業としては自社製品に有利な結果が出た臨床研究は良い宣伝材料になる。実際、ノバルティスは医師向けの説明文などでこの論文を引用し、ディオバンが他の薬よりも効果が高いと宣伝してきた。
医師は、血圧を下げる効果だけでなく、患者が将来、脳卒中や心筋梗塞(こうそく)にならないで長生きできる薬を選びたい。そのため、多くの患者を何年も追跡した研究は重視され、今回の論文撤回を学会関係者も深刻に受け止めている。
日本循環器学会は19日、「心筋梗塞二次予防に関するガイドライン」から該当論文の引用部分を削除した。ディオバンも含む高血圧薬が心筋梗塞の発症を防ぐかどうかを判断する根拠として、これらの論文を引用していた。
また、15日付で同学会は永井良三代表理事と下川宏明編集委員長連名の文書を京都府立医大学長に送り、大学が調査委員会を設けて詳細に調査するよう要請した。大学側から「データ入力ミス」などとする回答が1月にあったが、誤りが多数で、結論にかかわる主要部分に間違いがないか調査が必要と判断した。
琉球大の植田真一郎教授(臨床薬理学)は「研究者の社会的責任は重い。府立医大側は解析した研究者を含めデータの管理状況を明らかにし、診療録とデータ、解析されたデータの検証が必要だろう」と指摘する。(東山正宜、編集委員・浅井文和)
これ朝日新聞の報道である。
こんな事当たり前の事である。
今更こんな記事、本音と建前の使い分けに過ぎない。聖者ぶるなと言いたい。
日本と言う国全てにおいて、この本音と建前の世界と言っても差し支えない。遠く昔の話に戻れば、この拙ブログで紹介した事があるが、政治の世界でも55年体制の自民党と当時の社会党の関係とソックリである。当時自民党の与党と社会党の野党がそれこそ本音と建前のバカし合いで国政を司取って来た経過がある。その粘着物が内閣の官房機密費だったのである。その国民の代議員の国会議員からそれである。
さて話をこの記事に戻せば、私が言ってる事は、病院と言う病院は全てと言って良いほど、製薬会社とのなれ合いで動いている。これは持ちつ持たれつの関係と言って良い程である。私はこう言う病気(脳出血)での入退院のつわ者だから良く解るのである。皆さんご存じのように病院に行くと、患者の診察の終わるお昼頃になると、スーツ姿の営業マンが待合室にたむろしてる光景を見た事があると思うが、これプロパーと言って製薬会社生え抜きの営業社員である。彼らは如何に自社の薬を医者に使ってもらおうかと営業攻勢に来ているのである。それを使って結果を聞いて良ければ医者に宣伝してもらえば言う事無く、言わば自社の薬のCMなのである。裏を返せば、我々患者は、新薬のためのモルモットと言って良いのである。特に、精神病患者、認知症患者それに脳卒中患者の所謂自己認識の薄い患者はそれのもってこいのモルモット症例となる。酷いのになると、これらの患者は本人の知らぬ間に色んな薬を試されている場合が多い。これは病状による自己認識の無さの患者の家族は特に注意が必要である。何故ならこのような医療トラブルは日本の法律では絶対勝てっこ無いからであり、自己防衛が必要であるからである。
このように医療関係者たちは表向きは、医学界での研究成果を発表しながら、事実はこのような患者モルモット事例で新薬への共同成果による臨床データ作りと言えるのである。だから時にはねつ造もあり得るのである。彼らには罪悪感は決して無い。それよりも新薬作りがとりも直さず患者のためと思ってる方々だから、ある意味恐ろしい限りである。