菅元首相の「原発ゼロ」主張は自分の失態を隠す後出しジャンケンである

 日本未来の党が結党一カ月で分裂。小沢さんは「子分」か「敵」しか作らない人。使いこなすのは不可能。「原発ゼロ」も小沢さんにとっては生き残るための一時的戦術。
  「原発ゼロ」の政治勢力をどういう形で結集するか。総選挙で「原発維持」の自民党の得票は前回より減っており、「原発ゼロ」が否定されたわけではない。
 原発事故の危険性は国民に浸透している。しかし原発が無くなると電力が高くなり、経済にマイナスという誤った理解がいまだに広く信じられている。原発は危ないだけでなく、使用済み核燃料の処理を含めれば、極めて高い値段のエネルギーだという理解を広めることが重要。
 
 
これ提言型ニュースサイトBLOGOSの菅直人元首相の記事である。
 

 私はこの記事を見て恐れ入ったと雁首を下げて拝見した。余りの調子の良さに自己嫌悪に陥らないか、他人事ながら心配した。良く言うよってなもんである。
 確かに菅さんの言うとおりであるが、じゃあ今にして言うからには当然に当時も原発の仕組みや危険性は当然に理解してたものである筈だが、何故かその処理には首を傾げざるを得ない事が多すぎた。本当にその危険性の認識をもし1/100でも菅さんが事故当時持っていたなら、悪いがあんな3.11の事故処理対応を取っていなかった筈である。もし菅さんが、東工大の応用物理学科卒の技術者ならば、あんな対応とって居なかった筈なのである。もしそれほどの危険性を理解して、それ程の危険性を持ち合わせていたのなら、米国の1979年3月28日 スリーマイル島原子力発電所事故の教訓において、この3.11の事故に援助を申し出た米国の申し出を断る事は無かった筈である。逆説すればそれ程この事故の危険性を重大視してなかった証ではあるまいか。だからこそ人災云々の所以と言われる。それを今頃さも原発の学者如く当事者を避け、評論家如くは何事か。日本国の最高責任者としての自覚も無いこの発言。何故日本の報道各社マスコミ各社はその意味を追求しないのか。やはり茶番かと感じてしまう。義憤を感じるより、情けなくなってしまう。
後で付けたしの発言程卑怯なものは無い。