私は今回の選挙結果を踏まえて総括してみるに、色んな観点から考えるにある1点の原因しか考えられなかった。それは昨年の3.11の東日本大震災の福島第一原発の事故以来タブーと化した「維持原発」である。今これを声を大にして賛成はタブーと言えよう。がしかし、ネットを酷使して調べてみるに、国民の最大関心事は、何を隠そう、「経済のデフレ脱却」だったのである。確かに生活全てにおいての最大関心事は「脱原発」であった事は事実である。でも本音は「デフレ脱却」だったとすればある意味その理由がなるほどと理解されるのでもある。
戦前における下馬評に於いては、何故か自民が優勢で、民主は劣勢だった。その原因は、何の事無い、民主の「公約」破りの何物でもなかった。決して他の理由等無かった筈である。それが、大阪の「維新」旋風の到来より、第三極が2大政党の間を分け入って注目されてからである。以来雨後のキノコのように新党が乱立した。その延長に今回の総選挙があった。第三極にとってみればチャンスだった筈である。それがどう言う訳か自民党を利する事になってしまったのかは定かでは無いが、思うに私はその原因は「維新」にあったように思っている。大阪府知事時代の橋下徹が、何故に選挙民の理解を得られたのか、それは慢心に常態化された公務員の叩きが選挙民の喝采を浴びた事にある。そこから「維新」旋風は起こった。ともすればそれが閉塞された既成政党に飽き飽きしてた国民への清涼剤としての役割として迎合されたのである。ところが、選挙にあたってその第三極は「脱原発」を掲げた。それが唯一国民への理解と思ったからであった。特にそれを勘違いした政党は小沢新党からの「未来」だった。小沢一郎は最後のチャンスに自身を捨て、第三の嘉田滋賀県知事を担いだ、それが最良の選択と思い決断した筈だった。しかも現世は何処でも「脱原発」が合言葉だった。これで勝てると思ったに違いない。しかし、国民である選挙民の心はそこに無かった。一度豊富な電気の世界に馴れた国民は、簡単にはそれを捨てれない。それよりもまず、就労の確保が先だったと言う事にもなるのである。そのギャップに第三極は気付かなかったと言って良い。一番の原因は、同じ政策の似通った、「維新」と「みんなの党」が一緒に出来無かった事にある、その最大の失敗は、石原慎太郎の「太陽の党」との合併にあった。もしは政治の世界では禁句であるがそれが一番の失敗と言ってよい。もし「維新」が「太陽の党」と合併しないで「みんなの党」と合併してれば競合区が無くなって、恐らく3桁の議席を確保していたものと推察する。返す返すも残念だった。選挙期間中に、「維新」の松井一郎幹事長が、もう少し謙虚に話を聞いていれば、先輩に対し生意気だったと反省の弁がもう少し早ければ、形成も違っていただろう。要するに国民の関心事を知らないで、「脱原発」と言う言葉の建前で戦った過ちの結果が今回だったのではと私は思っている。もう少し、もう少し、の本音を全面にと私は悔やまれてならない。ある人々たちには暴論と移るやも知れないが。