内館牧子「バーバたちの会話」のコラムを見て

 最近とある新聞で内館牧子のコラムを見た。この歳になり孫もいる身としては、男だがなるほど思ったので紹介したい。テーマは「バーバたちの会話」と言う。
 
 
 ゴールデンウイークの直前の事だ。都内のスーパーマーケットでレジに並んでいると、後ろの人たちの話し声が聞こえてきた。
 「連休中、娘が孫を2人連れて来るって言って、あなた、5連泊よ。だからこんなに食材買って、すごい出費。たまんないわ」
 「うちの孫はさ、第1志望のOO中学(超難関の私立)に受かったでしょ。エリート教育だから大変で、電話が来たのよ。『連休はお祖母ちゃんのカレー食ってのんびりしたい』つて」  「5連泊だとバーバとお風呂に入るとか、ジージとディズニーランドに行くとか、もう大騒ぎよ」 そして、2人はもう1人の遅れに言った。その連れは孫がいないらしい。
 「あなたが正解。孫なんて持つものじゃないわよ。お金ばっかりかかって。第1志望合格のお祝いだってジジババと海外旅行がいいとか言うのよォ」  「うちの孫なんて小さいのに、ジジババは甘いってわかってるの。何か欲しいときはすりよって来て、この前なんか『バーバと寝る!』つて、こうよ」 孫のいない人は「あらァ」などと言うだけで、2人の「孫なんていらない」の集中砲火の中にいた。 私は秋田県秋田市ノースアジア大学で、年に2回ほど「エッセイの書き方」という講座を持っている。学生も来るが、一般市民が圧倒的に多い。同大が主催するノースアジア大学文学賞」の中にエッセイ部門があり、初心者にも応募して頂こうと思って始めた。受講者たちには前もって「書きたいテーマ」などのアンケートを取っておくのだが、学生以外は「孫について」が第1位である。 実は、孫について書くのは非常に難しい。何しろ無条件に可愛い。たとえ同居していなくても、年配者家族のもとへ突然舞い降りた赤ちゃんは、天使なのだ。当然ながら、祖父母の愛情は成長しても衰えることはない。ジージにおんぶされて眠ったり、学校代表で何かの全国大会に出たり、大人になって最難関の企業に就職したりというたびに、誰彼かまわず語りたくなるのはよくわかる。であればこそ、レジでの会話のようになる。
 ここに危険がひそんでいる。可愛くて理性など吹っ飛ぶ孫自慢は、とかく愛情の「垂れ流し」になるのだ。レジでの会話はその典型であり、「孫なんていらない」と言いながら、愛情を垂れ流している。身内で語ったり、日記に書く分には思いっ切り垂れ流していいし、「うちの孫は世界一」 「隣りの孫とは比べられない」等々もほほえましい。
 だが、不特定多数が読むエッセイ等の場合、垂れ流しは醜悪である。
 また、孫自慢グループで語るときは、これも幾らでも垂れ流していい。レジでの2人もそうだったが、こういう集まりでは誰もが自分の孫について口角泡を飛ばし、写真まで回したりして、他人の自慢話など聞いちゃいないのだから、誰にも迷惑はかからない。
 ただ、レジでの会話が示すように、孫がいない人が一緒のときをはじめ、不適切なメンバーや不適切な場では抑える必要がある。「可愛いものはしょうがないでしょ」は通用しない。時と場とメンバーを見極められないのは、知性の欠如に過ぎない。
 そして、世の中には「子供夫婦が幸せなら、孫は別にいてもいなくてもいい」と考えている人たちがいることも認識すべきだろう。
 そこで、9月に締め切り予定の「ノースアジア大文学賞」に向け、孫のことを書いてみてはいかがだろう。孫と自分のスタンスが整理でき、少なくとも愛情の垂れ流しは恥ずかしいと気づくのではないか。