亡き娘の主治医に幻滅

 先月の13日に娘は逝った。詳細はブログにて紹介したが、私は娘が自ら命を絶った事に未だ納得をしてなかった。何故なら死後に出て来た常備薬の存在である。
 
 生前娘は私の妻に、つまり母親には話していたらしいが詳細まではと言う事だったらしい。妻は生前よりそれを気にし、1人で悩みもしていたらしい。私にも話はしてくれてたが、32歳と言う難しいアラサー世代の成人女子の事、解かり過ぎる位解かったが、仏事49日のけじめを待って、その解からない事を知りたくて、私は妻と一緒に、聞きたいと言う1人息子になってしまった長男を伴い、先日主治医を訪ねた。
 
 私は一応、何々士と言う資格持ちではあるが、何々師と言う師にはそれなりの敬意を持っていた手前、それなりの緊張感を持って伺った。だが、その主治医の第一声はコンタクトを取っていながら、「今日の目的は?」だった。私はこの第一声でそれなりの敬意を持っていた今日の師に対して、もう気持ちが萎えるのを感じてしまっていた。
 
 この主治医の診療科目は、婦人科、心療内科、内科である。私はここの心療内科にそれなりの敬意を払っていた。だからこその訪問だったからである。
 
 娘は普段より生理痛が酷く、大変だったらしい。これは妻からの報告で解かっていたが、その他にも精神の不安定もあったらしい。だからこそのこの主治医だったのだろうと思う。
 
 詳しい事の解からない(勿論聞いても娘は怒って教えてはくれなかった)私たち夫婦は、死後常備薬の中に、パキシルなる錠剤を見つけた。このパキシルなる薬を調べてみると、知らなかったとすれば迂闊だったが、うつ病の薬だった。だからこそ私たちはそこのところの詳細を聞きたくて、主治医を訪ねたのであった。だが冒頭の第一声の「今日の目的は?」に続いて、誰が「うつ病」と言ったのかと不機嫌に聞かれ、話を聞く前に私たちはもう気持ちが変わっていたのは事実である。
 
 主治医と私たちは対面して聞いたところによれば、娘も主治医も「うつ病」の認識は皆無であったと言う事を言われたので私は、何故パキシルなる薬だったのかと聞いたら、ピルもパキシルも同じような薬だが、娘は独身で男のパートナーが居なかったのでパキシルにしたとの事、私は効能が同じだったら、独身で男のパートナーが居ないのなら、それこそピルでは無かったのかと聞いた。しかし、返ってきた言葉は、ピルは保険が利かず、パキシルは「うつ病」の診断をしないと医療法上レセプトで見てもらえないとの事なので、便宜的に「うつ病」にしたとの回答だった。しかもここまでの私の質問に対する回答の仕方やその言い方を見る限り、私は非常なる不信感が増幅した。少なくともこれが心療内科医の程度かと正直ガッカリした。
 
 私はこうやってこのブログでコメントをやりとりしてる皆さんと比較してもそれなりとも思っているし、また皆さんも大変素晴らしい方々で、未熟な私は色々皆さんに教えて頂いていると言う自負もあるが、それに比しこの主治医の程度の低さに本当に正直ガッカリ幻滅以外の何物も無かった。妻に言わせれば私は、この主治医との面談以後、可哀想な位しょげかえり、不機嫌だったらしい。
 
 私は何故娘は自ら命を絶ったのか。その答えはこの主治医が握っていると正直そう思っていた。だからこそこの49日のけじめの後にの気持ちで待っていたのであったからなおさらである。私は娘を亡くした当日よりも落胆した。以上に怒りも込み上げて来た。この気持ちは当分治まりそうに無い。