情けなや菅前首相、西岡武夫・前参院議長の葬儀での話

 三権の長の急死にしては、マスコミの扱いも永田町の受け止め方も小さすぎる印象さえあった。
 西岡武夫・前参院議長の葬儀こそ、各界から1000人を超えるVIPが駆けつけて故人の人柄をしのばせたが、国民に対して人の心を見せない今の議員連中は、そのさなかにも“次の議長は誰か”“これでまた反執行部の柱が消えた”と、猟官・政争で頭を一杯にしていたのである。
 最もひどいのは菅直人・前首相である。
 生前の西岡氏は、公約を守らず震災対応でもリーダーシップを示さない菅氏の政権運営を厳しく批判し、繰り返し退陣を迫った経緯がある。菅氏はそれが引っかかっていたのか、よりによって棺が議長公邸を出て、車列が思い出深い永田町を走り抜けるその見送りに遅参し、西岡氏が公邸を後にしてから、のこのこと顔を見せたのである。
 「知ってのとおり、あの人は気が小さくて、ケツの穴も小さい。こんな時には真っ先に駆けつけて、遺恨を乗り越える度量を見せれば周囲の評価も上がるだろうに、“嫌だ”と思うと誰に何をいわれても体が動かなくなる悪い癖がある。
遅刻がわざとかはわからないが、ある人から“絶対に出棺までに来るように”と念を押されていたのに、出棺の2分後にきた。お遍路しても全く変わっていない性格にはうんざりした」
 菅氏を支えた民主党関係者さえ、そう嘆息した。
 
 週刊ポスト2011年11月25日号の記事である
 

 私は商売柄色んな方々の葬儀に出席している。面白いのは生前見せなかった色んな事柄がその死によって全て白日の基にさらされる事である。時にはこの方そんな一面あったのかと驚く事しばしばである。
 
 また逆も然りで、どんな相手でももう二度と会う事も無い死の路に旅立たれたその方に対しては例えどんな事、例えどんなに嫌いであっても最大限の敬いを持って接する事が人間としての資質であろうと私は思う。前記記事に対する菅前首相の西岡武夫・前参院議長の死に対する態度である。やはりこの人それだけのお人である。何日も掛かる訳でも無い葬儀の時間である。それなりの接し方も出来なかった小さいお方である。情けないと言うより、こう言うお方が少なくとも二年を超えて日本のかじ取りをした事の方が驚きである。と同時に改めて日本の政治家の質の低さを感じた。