3.11の東日本大震災から7ヶ月余りが過ぎたが今もってその傷跡が癒えない。
私はこれを思う時いつもある人の事を忘れない。それはその災害に遭遇した我妻の友人の事である。
実は私は暇な時に、自分の日記を見る癖がある。たまたま時の3月11日の大震災の時を見ようと頁を見てたら、驚く事にその3日前の3月9日の11:46に大きな地震があってかなり揺れたとあった。その妻の友人もこの9日の強い地震を、いづれ強い地震がの余震と見て、すぐ帰宅し、貴重品だけをまとめ、リュックサックに入れ今後来るかも知れない地震あるいはそれによる津波に備えたと言う。彼女の後日談だが、小さい頃から、地震=津波は常に頭にあり、海岸端の住居者には常識であったと言う。また彼女が言うには、もしその余震時にその備えをしてなかったら、今回の地震時にいろんな用意支度に手間取り、恐らく死んでいたろうとの話であった。今彼女はそのために九死に一生を得て、岩手の山村に疎開している。いづれ機を見て故郷に帰りたいが今は未だその環境に無い。