自然災害に対する想定外と生きる術(すべ)

 3.11の東日本大震災から7ヶ月余りが過ぎたが今もってその傷跡が癒えない。
 ガレキ撤去はそれなりに進んだが、毎日のように避難民の消息やその生活、あるいは東電の福島第一原発事故による放射能被害は、それこそ東日本全体に及んでいる。
 私はこれを思う時いつもある人の事を忘れない。それはその災害に遭遇した我妻の友人の事である。
 
 その友人は妻と大学が一緒で、卒業後は関東の埼玉に就職していたが、最愛の人に恵まれ子供をもうけたのを機に、岩手の三陸海岸端の故郷に帰って、子供が大きくなりこれから自由にと思っていた矢先の地震だった。
 
 実は私は暇な時に、自分の日記を見る癖がある。たまたま時の3月11日の大震災の時を見ようと頁を見てたら、驚く事にその3日前の3月9日の11:46に大きな地震があってかなり揺れたとあった。その妻の友人もこの9日の強い地震を、いづれ強い地震がの余震と見て、すぐ帰宅し、貴重品だけをまとめ、リュックサックに入れ今後来るかも知れない地震あるいはそれによる津波に備えたと言う。彼女の後日談だが、小さい頃から、地震津波は常に頭にあり、海岸端の住居者には常識であったと言う。また彼女が言うには、もしその余震時にその備えをしてなかったら、今回の地震時にいろんな用意支度に手間取り、恐らく死んでいたろうとの話であった。今彼女はそのために九死に一生を得て、岩手の山村に疎開している。いづれ機を見て故郷に帰りたいが今は未だその環境に無い。
 
 私はこの話を聞いて、本当に「災害は忘れた頃にやってくる」、この言葉を考えながら、人間やはり学問の頭では無く人間としての「生きる術」が大事とつくづく思った次第であると同時に、石巻市立大川小学校の児童の8割をこの津波で亡くした事を思うと、結果論であるが、どうして大人と大人の住民はこの「生きる術」を考えていなかったのか、本当に胸が張り裂けるし、この想定外と言う「フレーズ」が空しく聞こえる。