官公庁出先庁舎等は建築学的にはムダの結晶である

 私は専門は建築である。だからではあるが、建物の概観や平面間取りや部屋の空間等殆んどがムダの結晶と言って良い。
 まず次の報道をご覧頂きたい。
 
 民主党政権が国の出先機関の原則廃止を掲げて凍結した地方合同庁舎の新設計画を再開していたことがわかった。政権交代後に22カ所の凍結方針を決めたものの、今年度予算に4カ所を計上。来年度予算の概算要求にも新たに4カ所を盛り込んだ。計8カ所の総工費は600億円に上る。出先機関の原則廃止を閣議決定しつつ、庁舎の建設は進めていた格好だ。
 国の出先機関は、都道府県との二重行政の解消やムダ削減のため、一部を廃止して地方に業務を移す方向で議論が進んできた。自公政権時代の2008年12月には、地方分権改革推進委員会が地方整備局(国土交通省)や地方農政局農林水産省)、都道府県労働局(厚生労働省)など9機関の統廃合を勧告。その後、廃止対象の機関が入る高層の合同庁舎の新設計画が発覚したこともあり、自公政権は計画の一部を凍結した。
 民主党は09年衆院選マニフェストで「国の出先機関の原則廃止」を掲げ、政権交代直後に新設計画を全面的に見直した。計画中の35カ所のうち22カ所を凍結。昨年6月に出先機関の「原則廃止」も閣議決定した。ところが、今年度予算で前橋地方合同庁舎など4カ所の計画を再開。この予算編成当時の財務相は、野田佳彦首相だった。
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朝日の報道である。
 
 
 これ等はほんの氷山の一角である。
 
 そもそも専門的な立場で言わせて貰うなら、日本の建物は全てがムダの結晶と言って良いのである。何故か? それは一般の皆さんにはたとえ話として説明した方が解かりやすいと思われる。
 例えば皆さんの家の間取りを頭に描いて見て頂きたい。何割かのお宅には、居間とか玄関の上が吹き抜けというお宅があると思う。正にこれがムダなのである。良く考えれば同じ金を掛けて1部屋が足りないのである。ただ意匠や空間の満足や心の癒し等考えなければムダと考えても良いのである。例えば著名な建築家の安藤忠雄さんとかに頼めば、癒しやステータスには満足であろうが、機能的に果たして大工さんの設計とどのくらい違うのかは、誰も結論は言えないと思う。外観的にはデコボコに出入りしてる外観と真四角の箱の様な建物を比較した場合には、変哲の無い、面白みの無い真四角の箱の様な建物の方が予算的には半分くらい少なくて済むのである。だからただ単純に予算だけ考えるなら面白みの無い真四角の箱の様な建物にすべきなのである。
 私が言いたいのは、要するに機能だけを追及して考えなければならない官庁の建物こそのっぺらぼうの、デコボコの無いそれこそ面白みの無い建物で充分なのである。それを官公庁はこぞって、豪華なこれ見よがしの建物が全てである。そのいい例がパリのノートルダム大聖堂に似せたと言われた丹下健三設計の東京都庁舎であると言っても過言ではない。何でたかが庁舎に1569億円も掛けねばならないのか私は解からない。強いて言えば、従順な日本人固有の民族意識か、あるいはそれを見越した役人の知恵かそれは解からない。いづれにしても日本国中それは立派と言われる建物は100%官公庁舎である事は紛れも無い事実である。特に地方に行くほどそれが顕著になる。地方の県庁舎及び市庁舎を見てみなさい全てが素晴らしい建物である。これひとえに、計画する側が自分のお金でない、腹の痛まない金だからである。こぞって競争してるようなものである。由々しき一大事である。このデフレ不況で皆民間人が苦しんでいると言うに、その苦しんでいる国民の税金を貰っている側が平気で苦しみを共有しない、日本と言う国家は本当に不思議な国である。国家予算に何割も占める公務員の棒給を、髪の毛1本位の切り下げでお茶を濁す公務員天国、本当にそう思う。ギリシャのようになってからでは遅い事に気付くべきと私は思う。