阪神大震災時存在感無かった村山富市元首相

 「僕は朝6時のNHKのテレビニュースで見た。それが最初。それまでは一切官邸に連絡はなかった」。95年の阪神・淡路大震災発生時に首相だった村山富市氏が出版された回顧インタビューで政権舞台裏を明かした。94年に社会党委員長として自民、さきがけ両党に推された村山氏は、衆院本会議で首相に選出されるまで「受けると言わなかった」。しかし「それなりの歴史的役割が課せられているかもしれない。腹を決めた」と述懐。
 
 昨日の共同通信の報道である
 
 
 これは劇的な首相となった元社会党村山富市委員長の回顧本での話である。
 
  55年体制を一度だけ揺るがし、晴天の霹靂以上の大変動だった。
 得てしてこう言う時は、災害に見舞われやすい、今回の東日本大震災もそうである。
 恐らく天は今後の行く末を試したのではないのかな、と私は考えている。
 それはさておき、時の宰相に緊急の報告が行かなかったと言うから一大事ではあるが、私は政治を動かしていた官僚が、時の宰相を当てにしてなかったのではないかと思っている。頭の良い官僚の事、忘れる筈は無い。頭から頼っていなかったのでは無いのか。逆に時の副総理である自由民主党総裁河野洋平外相(当時)には第一報が入っていたのでは、と私は勘ぐっている。もちろん河野洋平氏はそれを口外してないから真実はヤブの中だが、私は今もそう確信している。いつか私の存命中に是非聞きたいものである。