リハビリを兼ね千葉に帰省の孫2人を羽田空港まで出迎えに

 昨日の日曜日息子の嫁さんの千葉の実家に帰省中の孫2人を迎えに羽田空港まで行って来ました。ビックリしたのは涼しいと言うより寒いくらいだった事です。
 旧暦のお盆の帰省で帰っていた息子夫婦と子ども達3人のうち、小6と小2の孫2人を飛行機の経験をさせるため、羽田空港に私と妻と娘の3人で迎えに行って来ました。
 朝1番の飛行機で羽田に行ったら、9時には息子夫婦と子ども達3人はもう来ていました。私はご存知のように、歩行器の助けを借りないと安全に歩けないため、羽田から連れて帰る坊主2人と私の3人を見て介助するのは、いくら50代後半の妻でも荷が重いため急遽、娘の力も借りる事に致しました。息子の家族は行きは車でしたが、帰りは前記の坊主2人は私らと羽田から飛行機で、息子夫婦と一番下の坊主(2歳)は息子夫婦と車でと、別れ別れになりましたが、その日の夕方の帰りの飛行機と車での帰路は1時間も違いませんでした。私と妻は、衣替えした羽田はまだゆっくり見ておらず、この際孫達とゆっくり羽田見物でもと思い計画した次第です。
 
 私は行き帰り空港以外外には出ないつもりの行程だったので、介助の歩行器は使わず、終始車椅子に致しました。行きも帰りも航空会社の地上員の方の親切に助けられ、1日の強行スケジュールでしたが快適な1日となりました。羽田までと羽田滞在数時間の約半日車椅子に座ってばかりだと体が疲れ大変だったので、夕方の羽田発の帰路の出発時間までの2時間くらいは、自分で車椅子(車椅子には重石をつけるため小2の孫を乗せて)を歩行器代わりにして歩きました。第1ターミナルと第2ターミナルの間の400mを結構行ったり来たりしたらいい運動になりました。いつもだと2,800~3,000歩/日くらいの万歩計がこの日家に着いて見て見たら、5,000歩超えていました。でも人ごみに触れられた嬉しさと気持ち良さで、この日の夜の血圧計はいつもの上120を大幅に超えていました。疲れましたが言葉に出来ない充実感で一杯でした。
 
 思うに人の多いのには正直驚きました。この大都会東京、ここには大震災や、原子力事故を感じさせない何かがありました。やはり日本の最大の国内空港、経済の中心地、この街には生きる息吹と別世界がありました。
 
 今病気を忘れ元気な時を思い出させられた1日ではありました。。
 
 高いリハビリ代でしたが、金に換えられない経験でした。