私は1970(昭和45)年の大学4年次で、当時赤坂六本木の中心街にあった、東京大学大学院生産技術研究所(今は国立新美術館になっている)に約7か月通った経験があり、本当に貴重な体験だったと思っている。私は当時4工大の工学部建築学科の学生だった。専攻が建築環境工学のゼミの先生に就いたものであったので、その研究の一環で東大生研に派遣されたのであった。元々私の大学は明治の始め東大を退職された先生方が鉱工業や建設などの各分野で不足していた技術者を養成しようと設立した、我国でも最も古い私立の工業実業学校であった。その東大生研、近所の周りを見ればさすが日本の中心地である、世界各国の在外大使館が目白押しであった。アパートから出て中央線信濃町駅で降りて生研までの1.8kmを当時苦学生の私はひたすら歩いたものだった。その途中、今はCA(キャビンアテンダント)と呼ばれている当時スチュワーデスと呼ばれていた女優さんみたいな綺麗なお姉さん方がキャリアを引いて颯爽と歩く姿に、胸をときめかした時代でもあった。その研究所、さすが国立の最高峰である。当時コピーが開発されて僅か1,2年だったので、カーボン複写全盛時代のトレーシングペーパー大流行りだったため、その紙使い放題だったせいで、多少持参して来たが、今は私の古い段ボール箱に眠ったままである。当時に教えを受けた教授や助教授、講師や助手の方々は殆ど退官され、亡くなった方や旧帝大の名誉教授になった方々が主である。
今思えばこの約7か月の生研での研究のお手伝い、今私の貴重な体験として、今は息子に譲ってしまったが現在の建設と不動産二社の今日の為の糧になったと自負してる毎日でもある。