トヨタ 日産 昔のマイカー時代を思い出す

 私は大学受験に失敗し、東京でアルバイトしながら学費を稼ぐため上京した。昭和41(1966)年の春だった。行った先は東京都下小平市花小金井にある新青梅街道に新規オープンしたての出光のガソリンスタンドだった。そこで車の面白さを知った。

 当時トヨタ自動車には、クラウン・コロナ・パブリカの3車種、日産自動車にはセドリック・ブルーバード、プリンス自動車(1966年に日産と合併)には、グロリア・スカイライン、ホンダにはホンダスポーツS800、いすゞ動車にはベレル・ベレット(リアエンジン車)があった。

 その後大学卒業後小規模土木工事会社を経営してた親父が居たため、卒業年時のゼネコン入社試験にことごとく落ちたため親父の会社に入るため帰郷した。

 それからである私がカーキチと化したのは。最初親父に車をお願いしたら免許取り立てだからと中古車をあてがわれた。それが三菱のコルトSSと言うスポーツタイプ車だった。

 ガソリンスタンド時代、色んな車に給油したから良く解るが、トヨタ車だけは嫌いだった。当時から販売のトヨタ、技術の日産と言われてた通り、日産車より安いトヨタの装備品共有政策が嫌いだった。例えばトヨタの高級車と言われたクラウンの室内装飾品が廉価車と言われたパブリカと共有した青い部品を見ると興ざめした。そんな理由で以来還暦での脳出血で倒れるまで日産車一辺倒に近かった。一時期初めて大衆3ナンバー車を出した三菱ディアマンテに乗り換えた時期があったが基本的には日産車党だった。コルトSS後、ブルーバードU→ケンメリスカイライン二台→フェアレディZ2/2→日産レパードに乗った。最後はベンツに乗りたくて計画段階で脳出血で倒れて目を損傷したため、運転できなくなり、今は妻の日産車ノートの助手席で動いてる。

 久しぶりの車の情報で日産車がピンチに陥ってるみたいだが、今の日産車のデザイン設計者を見てれば昔の日産車に比べて設計が下手だなと良く思う。トヨタ車には一度も乗った事ないから比較できないが、最近は日産車に諦めの境地だ。