今日も12日がやって来た! 日航機墜落から39年 涙誘う9歳だった美谷島健くん

 忘れもしない1985年8月12日18時56分に日航機123便は群馬県多野郡上野村にある御巣鷹の尾根に墜落した。

 その時私はお盆の買い物に行き全て終わり夕食後ののんびりした後のニュースで知った。

 それからと言うものニュースにかぶりついたが、どう言う訳か全てが次の日だった。

 余にもむごい事故だったので、以後この事故については色んな書物も読み漁った。

 恐らく今日まで十数冊は読んだと思う。

 そして出した結論は、事故調査委員会の結果報告では無く、当時訓練してた自衛隊機の誤射による事故だと自分ながらに結論付けた。それは今でも確信してる。決して圧力隔壁の破損では無い!事故現場の特定の遅れや米軍機の飛来等考えればわかる事だ。だからこそ慌てふたむいた政府が協議のため時間がかかって遅くなった事が如実に表している。私的には当時の首相の中曽根さんが墓場まで持って行って眠って居るお墓に聞けば良いと思っている。

 私はこの日8月12日を迎えて思う時、いつも当時僅か9歳で乗った事も無い飛行機にたった一人で野球を観に大阪(恐らく甲子園だと思う)に行ってこの事故に合い永遠に帰らぬ人となってしまった事である。この話を聞いて私は他人(ひと)事ながら、余にもむごく可哀そうで号泣した事を覚えてる。他人の私でさえそうである。母親の美谷島邦子さんを思うと本当に胸が張り裂けることであったろう。

 もうあれから39年だ。彼が生きてたらもう50歳近くになって居て子や孫に囲まれての家族になって居た事であろう。本当に悔しく残念である。こんな悲しみは決して起こしてならならないし、起こしてはいけない事と何度も思う今日である。