長男に生まれたありがたさに思う

 戦後80年近くが経った。

 昭和22年生まれの団塊の世代の1号である。当時我々は戦後っ子としてベビーブームの走りともなった世代である。時は経済成長の初めで、金の卵とも言われ、集団就職列車で上京した子は引く手あまたでもあった。当時の高校進学率は2~3割に過ぎなかったのである。その彼らが今日の日本を背負ったと言っても良い。

 先日中学時代の友が亡くなった。私は脳出血で十数年前倒れて以来必死のリハビリで回復し、今では年1~2回のリハビリ上京旅で彼と会うのが唯一の楽しみでもあった。彼だけではない私がリハビリ上京時には当時の皆が集まり良く同期会を開いてくれた。その彼が逝ってしまったのである。彼は私との会話の度に良く言った言葉がある。「なあ栗田、俺上京してからは親にお前は次男坊だから帰って来るなヨお前の家は無いからナ」と言われた事を何度も聞いた。実家には兄貴夫婦が居て新しい家庭が形成されていたからだ。それを聞いた時に私はハッとして現実の狭間に突き落とされた事何度もあり何度涙した事か。その度に自らを振り返り、何て自分は幸せなんだろうと思った事か。当時東京行き列車は全てが上野駅行きだった。その度に思ったのが歌にある「ああ上野駅」の2番目の歌詞であった。

 

  就職列車に ゆられて着いた

  遠いあの夜を 思い出す

  上野はおいらの 心の駅だ

  配達帰りの 自転車を

  止めて聞いてる 国なまり

 

 私は学生時代の4年間東京で過ごした。私は年甲斐もなく時にはホームシックにかかり、何度か上野駅の西郷さんの銅像の前に行き郷里に思いをはせたものである。そこに行けば歌の文句ではないが東北なまりの誰かに逢えたからである。歳に似合わずエレジー心が強かったのか?

 上記の歌詞がその時いつも彼を思い出し彼の寂しい郷愁に心を惹かれたのである。