今にして思う東大生の凄さ!

 丁度50年前の昭和45年(1970年)私は東京の私立の工業単科大学建築学科(住居環境工学専攻)4年生に在籍してて、卒論ゼミの教授に請われて東京大学の大学院生産技術研究所に派遣された。場所は東京一の高級街地六本木交差点の直ぐ傍にあり、今は東京新美術館(港区六本木7-22-2)が建っている場所だ。近所には在外大使館等が数多くある場所で、今で言う高級マンションが多くあり、昔スチュワーデスと呼ばれた飛行機の客室乗務員(CA)が数多く住んでおり、私たちの通学時間帯に颯爽とキャリアを引き通勤姿を見るに、さながらお偉いさんになったような気分になり、正に別世界に居る気分だった。大学で建築を学ぶ中で随分とお陰でセンスが養われたと自負してる。当時北区十条の安アパートに居た私は通学には国電中央線信濃町駅から歩いて通った。今は山手線原宿駅から地下鉄メトロ千代田線で表参道駅由乃木坂駅から歩けば200mも無いが、当時苦学生だった私はひたすら1.5km歩いた記憶がある。

 

 派遣された東大の研究室には今は共に東大名誉教授になっている当時講師の村上周三氏と助手の中上英俊氏や当時同じ派遣生(横浜国大生で後に東大大学院に入学)の学生で今東北大名誉教授の吉野博氏の三人の教えを受け、当時のお金で1台何億円もする汎用コンピュータに触らせてもらい、感激したのが今でもハッキリ覚えているし現在のPC好きの糧にもなっている。この時に私は住宅の壁を伝わり温度降下計算(熱伝導率)の数学3次方程式の公式で難なくリアルタイム計算できる先生方や吉野君たちの計算の速さに今までにない衝撃を覚えている。何故なら私は他教科はからっきし悪くても、数学と物理だけは得意で余り負けた事は無かったからである。とにかくどんな頭脳してるのか、頭をカチ割って中を覗いてみたいと思った事何度あった事か。(笑い)

 

 今後期高齢者になり、孫が大学受験に近くなって来て、少しでも大学受験の相談に乗れる準備だけはしておこうと、学生時代に戻ったように大学受験参考書類や大学要覧とにらめっこしてる今日この頃である。