せっかちさ故残した田中角栄の名言

私はガンコ者であり、せっかちであり、結論を直ぐ急ぐ悪い欠点がある。だから長々と説明する人間は大嫌いである。私の大好きな人間にかの今太閤田中角栄がいる。今の政治屋(政治家何て言う人間とは思っていないから)特に現宰相岸田さんを見てれば昔の固い官僚を思い出す。それも堅実な言葉だけで実行力が伴っていないハッタリ屋にしか見えない。要するに言うだけで何もしないような人種にしか見えない。

最近私は遅ればせながら好きな政治を回顧する意味で、かの今太閤田中角栄に関する書物をドッサリ買い込み、今読み始めたところである。過去には好きな政治作家大下英治の本はあらかた読んだが、もう一度それ以外の本も含めて読んでいるところである。

その中に下記のような田中角栄の名言があるので紹介する。

 

用件は便箋1枚に大きな字で書け。初めに結論を言え。理由は3つまでだ。

この世に3つでまとめきれない大事はない。

 

できることはやる。できないことはやらない。

しかし、すべての責任はこのワシが負う。以上!

 

必要なのは学歴ではなく学問だよ。

学歴は過去の栄光。学問は現在に生きている。

 

名指しで批判はするな。叱るときはサシのときにしろ。ほめるときは大勢の前でほめてやれ。

 

人間はそれぞれ「ものさし」がある。

相手の「ものさし」に合わせて十分考えないと失敗するぞ。

 

ウソをつくな。すぐバレる。

気の利いたことを言おうとするな。あとが続かない。

 

相手の目を見て大きな声できちんと話せ。

声が小さいのは信用されない。

 

優れた指導者は人間を好き嫌いしない。

能力を見分けて適材適所に配置する。

 

大事なのは数字と事実だ。ウソか本当か調べればすぐ分かる。

根拠に乏しい屁理屈は、たちどころに化けの皮がはがれる。

 

 

世の中は白と黒ばかりではない。敵と味方ばかりでもない。

その間にある中間地帯、グレーゾーンが一番広い。真理は常に「中間」にある。

 

人にカネを渡すときは頭を下げて渡せ。

くれてやると思ったら、それは死にガネだ。

 

人の悪口は言わないほうがいい。言いたければ便所で1人で言え。

自分が悪口を言われたときは気にするな。

 

失敗をイヤというほどしたほうがいい。そうするとバカでないかぎり、骨身に沁みる。

判断力、分別ができてくる。これが成長の正体だ。

 

子孫に財産などを残す必要はない。子どもには教育、学問だけをミッチリ仕込めばいい。

親が残した必要以上の財産は、だいたい子どもをダメにする。

 

 

人生で重要なのは「間」だ。

イノシシのように一本調子なのはうまくいかない。

 

人間でも植物でも、生物は劣性遺伝なんだ。

働かない、勉強しない奴は親よりバカになる。

 

人の一生はやはり運だと思う。実力があってもダメなものはダメ。

努力と根気、勉強、こういったものが運をとらえるきっかけになる。

 

人は馬鹿にされていろ、だ。

踏まれても、踏まれても、ついていきます下駄の雪。

 

原稿を書くときは30%の力だ。90%の力を出す能力はない。

昔の名人が、木の看板に向かって一気に字を書いた。

下のほうが残ったので木を切ったらしい。私もそれ式だ。

 

私は荒っぽい医者ですよ。

足を切断しなくちゃいけない人には「今日、お切りなさい」とキッパリ言う。

半端な治療をして足を腐らせてしまうようなことはしない。

 

方針を示すのが政治家の仕事だ。役人は生きたコンピューターだ。

方針を示せない政治家は役人以下だ。

 

政治とはつまり、事を為すということだよ。

 

どんな発言をすればマスコミに気に入られるか。大きく書かれるかと考える人間がいる。

こういうのが一番悪い。政治家としても大成しない。

 

農林省の役人はコメ問題の権威かもしれない。しかし情熱がない。

田んぼのなかに入ったこともないような者が、コメのことを分かるわけがない。

 

人間は誰しもできそこないだ。

しかしそのできそこないを愛せなければ政治家はつとまらない。

そこに政治の原点があるんだ。

 

いい政治というのは国民生活の片隅にあるものだ。

目立たずつつましく国民の後ろに控えている。

吹きすぎて行く風──政治はそれで良い。

 

人の悪口を言ったり、自分が過去に犯した過ちを反省せず、自分がすべて正しいとする考え方は国のなかでも外でも通用しない。

 

数億円のトンネルを作るなら、最低何万人の利用者が必要と考えるのが官僚だ。

利用者が150人でも欠かせないものは作る、それが政治だ。

 

政治にオール・オア・ナッシングというのはない。

まず最善の策を考え、次に次善、三善の策まで考える必要がある。

 

※オール‐オア‐ナッシング【all-or-nothing】 すべてか無か。 妥協 を 許さない 立場 や 決意 をいう。 「オールオアナッシングの 選択 を迫る」 精選版 日本国語大辞典 索引トップ 用語の索引 ランキング 凡例 オール‐オア‐ナッシング 〔名〕 (英 all or nothing ) すべてか全くの無かの どちらか で、 中間的 な ものがない こと。 * 毒薬を飲む女 (1914)〈 岩野泡鳴 〉七「『 All or nothing ━生で なけりゃ ア、死だ! 』 この間 に 譲歩 はない! 妥協 はない! 」 ウィキペディア 索引トップ ランキング カテゴリー オール・オア・ナッシング

 

これを読んでると正に生き字引である。正にその通りであり末端の現場を経験しなければ浮かんで来ない言葉ばかりである。この中でも私の一番好きな言葉は『結論を先に言え!理由は3つで良い!』である。これが出来ない人間は何をやってもやれず出来ずの中途半端な人間と言って良く、とてもじゃないが経営者にもなれない人間だろうと思う。