バラエティオンリーのフジテレビ、危機から脱したのはリストラが功を奏した?

数多くの有名番組を生みだしたフジテレビですが、この頃はあらゆる番組で視聴率の低下が止まらない低迷期が目立つようになってきました。且つての視聴率「三冠王」(ゴールデンタイム・プライムタイム・全日)をとっていた時代の面影もなく、ついにキー局で「万年最下位」といわれていたテレビ東京にもゴールデンタイムの週間視聴率で抜かれました。

 

そんな想像を絶するほど低迷するフジテレビ、一体何があったのか?ネット上では、面白がっていろいろな憶測や分析が飛び交っていますが、残念ながら根底にあるのは経営上の問題であるため、他で指摘されているようなことは単なる表面的な末端問題です。窮地から脱出するには抜本的に問題を解決する必要があります。

 

一般的には、トラブルが発生した場合、それと同じレベルではなく、もっと深いところにある問題を解決しなければなりません。さらに、問題が表面化しはじめたとき、多くの場合はすでにかなり深刻な状況に陥っています。中には「末期がん」になっているケースも存在する。

 

フジテレビの場合はこの「末期がん」に近い状態だと考えています。一国民的巨大メディアがここまで急速に衰退するのは決して偶然ではなく、しっかりとした敗因があるのです。もしかしたら何か虎の尾でも踏んだのかなと都市伝説的に思うときもありましたが、そんなことを言い始めたら仮説に仮説を重ねて切りがないので、やめておきます。

 

一般の中小企業ならば、どこどこに問題があり、どうそれを改善すればいいのか、比較的簡明なことですが、これがフジテレビのような超一流企業となると話はややこしくなります。ざっと見積もって何十の気になるところがあり、どれが諸悪の根源なのか分かりにくいものです。今回は中でも興味深いものを紹介して、最も核心についた要因を分析します。

 

「8チャンネル」説?

結果論と言えば、正に「8チャンネル」説は結果論である。しかし、全く関係がないとも言い切れません。なぜかというと2011年7月24日でジデジ化に伴い、「8チャンネル」を選択したことはフジテレビにとって衰退のきっかけの一つではあります。きっかけというのは、一因であって根本的な原因ではないということです。もっと言えば「8チャンネル」を選択したその決断自体が一つの末端問題なのです。

 

ではなぜこの「8チャンネル」説が生まれたのか?現象として非常に分かりやすく、ジデジ化でリモコンボタンの順位が変わったあたりからフジテレビの不振が始まったからです。タイミングが良すぎて、故にただの偶然の出来事が一気に信憑性が上がりました。

 

アナログ時代では「新聞のテレビ欄」「リモコンのボタン順」共に程よく真ん中あたりにあったに対し、今では「新聞のテレビ欄」ではフジテレビが右端に、「リモコンのボタン順」ではフジテレビが最後になってしまいました。

 

後付け理由一つ目は、「新聞のテレビ欄」の端では宣伝効果が小さく、紙面全体のど真ん中を占めた方が、目に飛び込んでくる確率が高いからだといいます。これに関しては新聞はチラシ等と違って文字が非常に小さいため、大きな見出し以外では「パッと目に飛び込んでくる」なんぞことはありません。むしろテレビ局名を見つけてから時間順に見て行かないと分かりにくいくらいです。(新聞を見る人が減っていますし)(新聞は右から読みますし)

 

後付け理由二つ目は、視聴者はリモコンボタンを1から順に押していくため、フジテレビは順番的に最後になってしまい、結果的に不利だと言います。これに関してはまず、自分の好きな特定の番組を狙って視聴する人の方が多いのと、順に押していく人も最終的には面白そうな番組に落ち着くでしょう。コンビニならば、どこに行ってもそんなに変わらないから近いところに行きますが、テレビは違くて局が違えば全然変わりますから。局数が数十局あるならまた分かりますが、5、6局しかない中で確率的にこの解説はかなり無理があります。

 

極端に言うこの理論が正しければ1から順に人気テレビランキングになっても可笑しくないことでしょう。実際はそうはなっていない、今でもアナログ時代でもです。

 

では「8チャンネル」はきっかけであり、一因である理由を説明します。ジデジ化によるチャンネルの再編を一つの「出来事」として捉えるべきです。この出来事が変化をもたらしました。地震が起こった場合ボロイ家だけが倒壊する、と分かるようにフジテレビはすでに「ボロかった」のです。地震である「チャンネル再編」はきっかけに過ぎません。

 

同時に他局にとってはいいきっかけでもありました。視点をずらして考えてみればフジが落ちたのもそうですが、他の局が上がったとも言えます。日テレ、テレ朝やテレ東京にとってチャンスであったとしても、フジには決して不利ではありません。

 

たとえば今更、3か5に変更したら、フジテレビはそれで再燃すると思いますか?そんなばかな!

 

きっかけは他にもあった!

同じく2011年、東日本大震災3.11とフジテレビの韓流ごり押し騒動がありました。同じきっかけでも「チャンネル」問題よりこちらの方が遥かに打撃が大きかったです。

 

韓国問題でイメージが悪化したフジテレビは「ドラマにときめきがない」「パクリの企画ばかり」「斬新な企画を出せない」「学歴至上主義も根深い」「クリエーティブな仕事をする会社と思えない」「上司が責任を取らない体質」と一気に崩れ始めました。

 

そして3.11以降、日本社会はより現実よりシビアになり失われた20年を終わらせ、新たな転換期に突入した。しかしフジテレビはこれに気付いていない、いや気づいたかもしれませんが、気づいただけで挽回できるほど状況は甘くなかった。

 

巨大企業のがんの早期発見は難しく、気づいたときはもうかなり進行しているため一日二日で到底解決できるようなことではありません。2011まで問題が表面化しなかったのは、国民もフジテレビと同じ幻想を見ていたのです。しかし、2011年のいろいろな「きっかけ」がなくても、膨れ続ける風船は遅かれ早かれ破裂する、その時はドドド~と雪崩のようにフジテレビのように。

 

日本人は同じものを長く使う風習があり、メディアも同じ好きなテレビは長く信用するのも「がんの発見」が遅れた原因です。最近のフジテレビは戦意消沈したのではないかと思うときもあります。時代に合ってない恋愛万歳のドラマは何とかなりませんか?プライドが高くて頑固ですね本当に。ただ過去成功したマニュアルの通りに形だけでやっているから、魂が感じないし感情移入もできません。

 

全ての始まりは社屋のお台場移転でした

都の臨海副都心計画に加え、当時の河田町本社では手狭になり、またお台場は地価が安かったため、お台場移転が決まったとのことです。フジテレビは庶民感覚を肌で体験する機会を失いました。これがボディーブローのように長い年月をかけてじわじわと効いてくきます。なんと1997年移転から2011年まで14年を経て、ついにあの時に蒔いた禍の種が隠せないほど巨大なまでに成長しました。

 

ここまで時間かかったのは一流企業であるのとメディアという特殊な会社だからです。メディアは流行や文化をも作り出せるほど強力な存在であるため、そう簡単には揺れません。

 

世間の感覚とどんどんずれていくフジテレビはかつての創造性満載・常識を覆す・反権威主義・チャレンジ精神で挑む姿はいつの間にか消えてなくなりました。番組を企画制作したり編成を考えたりする社員と従業員が湾岸から海を眺めていては、今何が流行っていて、何を流行らせたいか、或いは何に流行るだけの力があるか、分からなくなったのです。

 

あるのは全盛期の成功体験が骨の髄まで染み込んだ「感性」だけ、しかしその「感性」は今や世間と逆方向を向いている、なのにその「感性」を頼りに番組制作を進めています。故に東日本大震災以来現実に引き戻さた世間は、フジテレビのお祭り感が受け入れられなくなったのです。

 

宿命

何事も、誕生期・発展期・成熟期・衰退期が存在します。そして衰退した後は次のサイクルに突入します。フジテレビの現在は衰退期に当てはまりますが、うまく次のサイクル軌道に乗れるかどうかはフジテレビの「トップ」にかかっています。

 

時代は休むことなく、どんどん変わっていきます。長く存続するためには時代の変化についていくことが大事です。こんなのことは誰でもわかることです。しかしできないんです。これが宿命と言えます。

 

会社が繁栄すれば権力闘争がうまれる、その権力闘争に勝った人は独裁者となり、ほかの人は何も言えなくなります。過去の栄光があるゆえに、いまだそれにすがろうとする。さらにその体制を維持するには昔の黄金時代のまま変化を恐れ、守りに入ります。部下は「どうせ何を言っても聞かないだろう」と無力感に苛まれていくわけです。

 

ピータードラッカー「マネジメント」のフォードとGMの話があまりに有名で、この話題にピッタリです。読んでいただきたい!

 

フジテレビはこの不況を脱出するには、トップが部下に決定権を与えるか退任するしかありません。そしてその決断を早いうちに出した方がいいです。このまま放置していたらいずれ退任を余儀なくされることでしょう、そしてそのときの損失計り知れない。

 

 

 

これ「フジテレビが低迷、その原因とは何か?」と題したホームページ制作会社の㈱ipidiwと言う会社の記事である。

 

 

 

 かつて“楽しくなければテレビじゃない”をキャッチフレーズに年間視聴率3冠王の座に君臨したフジだが、近年は民放4位が定位置となり、テレビ東京に追われる立場だ。

 

「なぜこのような事態に陥ったのか」を歴史や社風などから丁寧に分析したのが、『フジテレビはなぜ凋落したのか』(新潮新書)だ。著者の吉野氏は、報道部の記者や情報番組のプロデューサーを務めた同社の元社員。その吉野氏にあらためてフジテレビ凋落の原因を訊いてみた。

 

■フジテレビと世間に生じた“ズレ”

「なかなかその理由をひとつに絞るのは難しいのですが」と前置きしつつ、吉野氏はフジテレビと世間に生じた“ズレ”を指摘する。

 

「ひとつは時代感覚のズレ。いまだ視聴率三冠王を連発していた“栄光の1980年代”を引きずっている社員も多い。視聴率三冠王を連発していた1980年代、フジテレビは“庶民的な”テレビ局でした。

 

 当時ヒットしたフジテレビの番組に共通する特徴は、反権威主義でリアルを追求するところ。例えば『オレたちひょうきん族』は、台本通りで進行するそれまでのバラエティー番組とは一線を画していました。番組スタッフや舞台裏のゴタゴタが映り込むのもお構いなし。ビートたけしさんは『ブス』『ババア』など乱暴な言葉を使ったり、アドリブでロケを休んだことさえ笑いに変えたりして、テレビの権威や建前の世界を“ぶち壊し”、本音を露呈させる新たな笑いに挑戦していました。

 

 この80年代前半は、TBSの『3年B組金八先生』や『積み木くずし―親と子の200日戦争―』がヒットしていたことからもわかるように、校内暴力が社会問題となっていた時代です。個性化が進む若者たちは、権威主義的に教員や親から一つの考え方を押し付けられることに対して鬱屈した感情を溜め込でいたのでしょう。

 

 フジテレビがバラエティー番組などで権威を“ぶち壊し”定型的な常識や社会規範を相対化させて見せる時、若い視聴者が共感を示したのはこのような社会状況があったからにほかなりません。

 

 あの頃は、日本社会がフジテレビを欲していたと言えるのではないでしょうか。

 

 問題は、フジテレビがこの時代の視聴者との蜜月関係をいつまでたっても忘れることができない点でしょう。言い換えれば、80年代に過剰適応してしまったことのツケが回ってきているのです」

 

■“ズレ”が決定的になった「お台場への移転」

 さらに「社風」の問題もあると語る。

 

「フジテレビの社風は仲間意識が強いことで、それ自体は悪いことではありません。

 

 そして、80年代は仲間意識を強く押し出し、“内輪のバカ騒ぎ”のような番組を作っても、視聴者の感性との『ズレ』がなかったため高視聴率がついてきたのです。

 

 視聴者の好き嫌いや生理的感覚を考慮しなくても、『制作者側の感性』で伸び伸びと番組をつくればそれでよかった。むしろ、それが“勝利の方程式”だったのです。

 

 しかし、何もかも上手くいきすぎたことが今はアダとなっています。全盛期の成功体験はフジテレビ社員の血となり肉となって身体の中にとどまり、『制作者側の感性』で番組を作り続けましたが、やがて社員の時代感覚は世間とズレ始めました。それなのに、その『ズレ』を修正する番組制作の方法論をフジテレビは見いだせないままなのです」

 

 その“ズレ”が決定的になったのは、1997年に社屋を新宿の河田町からお台場に移転したことだという。

 

「それまでフジテレビの強みだった庶民感覚や仲間意識が失われたのが、お台場への社屋移転です。

 

 日本を代表する建築家・丹下健三設計、総工費1350億円の新社屋で働いているうちに、徐々に社員の意識が変わってきてしまった。“俺たちは、業界のリーディング・カンパニーに勤める一流社員だぞ”というような。恥ずかしながら、これは私自身の当時の実感でもあります。どうしても意識は環境に左右されます。そんな人間が作る番組が、世間の生活感覚から乖離するのは時間の問題でした」

 

 さらに追い討ちをかけたのが、2011年8月に起きた「韓流びいき批判」デモだという。

 

「これは全くの見当違いで、フジテレビとしてはとばっちりもいいところ。韓流コンテンツは当時比較的安く購入できるうえに視聴率もよく、コストパフォーマンスが高い。決してフジテレビが反日なのではなく、単純な経済原理に従っただけ。

 

 全くの誤解だったわけですが、フジテレビに対する不満や鬱屈がこれを機に爆発してしまったように思います。デモの数カ月前に東日本大震災が発生しているのも偶然ではないでしょう。フジテレビが叩かれたのは、震災の影響で社会の雰囲気がシビアになる中、相変わらず仲間内で楽しそうにはしゃぐ“一流社員たち”に対する苛立ちや鬱憤もあったはずです。

 

 ところが、フジテレビはこうしたバッシングへの対応を誤ったと思います。それを警告と捉え、叩かれる理由を徹底的に分析し、その結果を社内で共有して対処していれば、もしかしたら“復活”のきっかけとなったかもしれません。フジテレビは自らを省みるチャンスを逸したのです」

 

 そう吉野氏が語るように、2011年以降、フジテレビは各時間帯の年間視聴率でトップを獲得していない。さらにテレビ朝日やTBSの後塵を拝し、民放第4位に転落することも。はたしてフジテレビは、吉野氏が指摘するような“ズレ”を埋め、再び業界のトップに返り咲く日は来るのだろうか――。

 

デイリー新潮編集部 2016年4月28日掲載

 

 

こっちはかなり古いが「元プロデューサーが指摘するフジテレビ凋落の原因」と題したディリー新潮2016年04月28日の記事である。

 

 

フジは一番嫌いなテレビ局だが、短期間での復活劇はリストラ等の経費切り詰めのお陰かも知れないが、バラエティオンリー番組を続ける限りまた危機は繰り返されるだろう。

テレビ番組はその時代のし好と共に変わると言う事だと思う。経済成長時代の頃は、暮らしも豊かになり余裕も生まれ、国民のし好は確実にバラエティに興味を持ったためと思われるが、同じものは食べ飽きる気持ちが生まれ、考える余裕も生まれた事だろう。そうなれば唯面白い事ばかりではなく、時には変化も欲しがり、テレビ視聴もただ面白いものよりも記憶に残る番組も見たくなるのは道理である。お世辞にもフジの番組は、バラエティオンリーに固執し、芸能人を多用したくだらない番組が多くなってしまった。フジの最盛期の「“楽しくなければテレビじゃない”のキャッチフレーズ」は何かコンセプトをはき違えたと感じられ、国民の中の知識人の支持を失ってしまったに等しい。見方を変えれば、国民を甘く見過ぎバカにしてると感じられた。もうお笑い芸人の失業対策番組は終わったと感じてほしい!

フジの財務諸表を見ればこの数年間に売り上げが700億円も下がっているのに固定経費は200億円以上も改善して営業利益はホンの僅かしか下がっていない素晴らしい努力である。これは恐らく人員整理と言う社員給料の総務費の減少だろうが、危機感を共有した社員の賜物と理解する。逆説すれば如何に今まで胡坐をかいていた無駄な社員が多かったかと言う事にもなる。

今後はバラエティ番組だけに固執せず、色んな年代層にもターゲットを絞り、報道までバラエティ化したりせず、それなりの知識層にも浸透する記憶に残る番組作りをしないと元の木阿弥となる事を忠告したい!