元東大学長佐々木毅さんの『「今、ここ」型超えた政治を』と題したコラムを紹介する

 今年秋の衆院選、来年夏の参院選と、日本は国政選挙の時期に入る。ドイツは日本に先駆けて総選挙を行い、来年には米国の中間選挙、フランスの大統領選と議会選が行われる。ドイツのメルケル首相引退に象徴されるように、自由主義陣営でも政治家の世代交代が進むことになろう。

 自民党は「菅義偉首相では選挙は戦えない」として、総裁選という形での事実上の大事前運動を展開した。日本のメディアはこの大事前運動どバランスを取るべく、野党の政見・政策提言を比較して取り上げるようになっている。これをきっかけに公選法上の事前運動についての見直し論議が始まることはむしろ歓迎したい。

 何分にもコロナ禍によって社会が広範囲にわたって傷み、特に社会的弱者と呼ばれる人々が大きな打撃を受けたこともあって、総裁選の政策論議は「○○給付金」を巡る議論になっているのは当然である。もちろん、何を対象に、どのように支援するかを巡って政治家や政党の独自色があって不思議はない。

 こうしたテーマは「今、ここ」の要望を念頭に置いた「今、ここ」型政治である。コロナ禍は恐るべき規模にまでそれを押し広げる可能性があり、政治の整理能力が試されることになる。

 「今、ここ」型政治は重要であるが、+分ではない。特に日本においてはそうである。日本は脱デフレのために長年、アベノミクスの旗印を掲げてきたが、その成果はかなり限定的であったことが広範に指摘されている。すなわち、経済成長において他の先進国に劣位し、ましてや多くの新興国には及ばなかった。

 結果として、日本は他国と比較して「貧しくなり」、国際市場で「買い負ける」ことが珍しくなくなった。現に、米国産牛肉を巡りミートショックと呼ばれる価格高騰が起こっている。現役世代の購買力も下降し、かつての現役世代とは様相を異にしている。車や不動産に手が届かなくなっているという。

 アベノミクスの「三本の矢」のうち、金融政策と財政政策の二つについては予定通り実行されたが、3本目の矢である成長戦略に見るべき成果がなかったというのが通り相場である。これからの政権がどう評価し、どう処理するか。また、新たに成長戦略に取り組むとしたら何に焦点を当てるのか。俗な言い方をすれば、10年、20年後の日本は何で食べていくのかというのが、政治の議論のもう一つの軸として登場しなければならない。この長い時間軸によって 「今、ここ」型とのバランスを取ることが大事である。

 コロナ禍もあって「今、ここ」型の議論は当たるべからざる勢いであり、しかもどの国も目下、コロナ対策で財政状態の悪化を甘受している。しかし、それもそろそろ国際金融市場の一つの不安定要因として無視できない事案になってきた。

日本の財政赤字の累積額はコロナ以前にすでに国内総生産の2倍を超えていたが、それがさらにコロナ禍で悪化したことは間違いがない。そうした中で、日本の財政に対する内外の信認に留意する必要が出てこよう。

 ましてや経済成長の余地が乏しく、人口は減少の一途というのでは、いや応なしに信認の先細りは避けられないであろう。財政に対する内外の信認の支え手でなければならない政治家たちが「今、ここ」型政治に埋没しているようでは、その役割を果たしたことにはならない。そのようなスタイルの政治は短命政権につながるだけではないか。

 コロナ禍の怖いところは、これまでの社会や経済の仕組みを破壊して修復不可能な状態をつくり出し、生活環境の荒廃を永続化させるきっかけになり得ることである。ありていに言えば、社会がそれをきっかけに、衰退の道を延々とたどることにならないようにするためには、政治は相当の危機感と短期・長期に目配りする構想力を備えなければならない。

 今年のいろいろな選挙はそのための準備段階であり、来年の参院選ごろには「今、ここ」型政治を超えた目線を有権者に提供してもらいたい。それが実質のある政権を可能にするゆえんである。(元東大学長)

 

 

これ『「今、ここ」型超えた政治を』と題したあるローカル新聞に2021年9月27日に掲載された元東大学長佐々木毅さんのコラムである。

 

 

私は佐々木毅さんの大ファンなので恒例のように紹介してる。