菅首相の発信力の無さは何なのだ!!

 過去の戦争を巡る菅義偉首相の認識が、見えてこない。戦前日本の負の歴史をどのように受け止め、教訓を生かそうとしているのか、はっきりしないままだ。透けるのは「歴史への関心の低さ」(自民党筋)。政権対応では、保守派として歴史問題にこだわった安倍晋二前首相の路線を「大筋で踏襲」(政府高官)する。15日は終戦の日。菅氏は就任後初めて全国戦没者追悼式に出席し、あいさつする。

「首相は読み飛ばしたことに、すぐに気付かなかった」。政府関係者は、菅氏が広島の原爆死没者慰霊式・平和祈念式でのあいさつの一部を読み飛ばした当時の様子をこう説明する。読まなかったのは、日本を「唯一の戦争被爆国」と位置付けた上で、核兵器のない世界の実現へ努力する重要性を訴えたくだりだった。

菅氏周辺は、原稿を貼り合わせる際に使ったのりが予定外の場所に付着し、めくれなくなったとして「事務方のミス」を強調する。だがそのまま読み進めた首相には「事務方に文案づくりを全て任せ、内容も頭に入っていなかった」(政府筋)との批判がつきまとう。自民三役経験者は、「首相には戦争から何かを学ぶという真摯な姿勢がうかがえない」と酷評する。

 歴史へのこだわりの薄さは、安倍政権の下で官房長官を務めた当時から指摘されていた。2013年12月に安倍晋三首相が靖国神社を参拝する直前、菅氏は「全体状況を見て判断してほしい」と安倍氏に伝えるだけで、是非を語らなかった。参拝を巡る自らの考えを周囲から聞かれた際には「安倍首相が決めたことだ」とはぐら かしている。こうした姿勢は、米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)移設問題でも垣間見える。故翁長雄士箭沖縄県知事は在任中の講演で、官房長官だった菅氏が同県名護市辺野古への移設に反対する翁長氏と協議した際に「私は戦後生まれなので沖縄の歴史は分からない」と発言した、と振り返った。この菅氏の発言は、本土防衛の捨て石にされた沖縄戦や、「銃剣とブルドーザと呼ばれる米軍の土地強制接収で受けた沖縄の痛みを理解しないまま、政府の移設方針を押し付けているのではないかとの疑念を生んだ。

 当面の政権対応を巡っては、謝罪外交に区切りを付けるべきだとした安倍氏の路線を引き継ぐ。元慰安婦問題解決へ協力を求める韓国には、日韓請求権協定に基づき決着済みとの観点から妥協しない構え。6月の英国での先進7カ国首脳会議(G7サミット)の際、ゲスト参加した韓国の文在寅大統領との首竪譲を設定せず、「安倍外交」の継続をアピールした。

 現行憲法を巡っても、安倍氏改憲路線をおおむね受け継いでいる。菅氏は4月の米誌インタビューで「第2次世界大戦直後に採択されたもので、今日の現実に追い付いていない」と述べた。理由に関し、官邸筋は「さまざまな分野で前政権を継承するのが菅政権の方針だ」と釈明する。

 歴史観を自分の言葉で語らない菅氏に対し、野党から「侵略戦争と植民地支配、加害責任への反省」(穀田恵二共産党国対委員長)を求める声が上がる。立憲民主党幹部は「首相がどういう考えを持ってい     るのか、分からない」と冷ややかだ。記憶の風化が進む日本。歴史への確かな視点と、アジアと世界の平和に向けた決意が菅氏に問われている。

 

 

これ「安倍氏の路線、大筋踏襲か」と題したあるローカル紙の2021年8月15日の朝刊の記事である。

 

 

 これは権力者としての「言葉」を持たないからではと思われる。地味な男が転がり込んできた「権力」を戦わずして得てしまったからだ。多少著名な政治家の真似をしたから出た「自助・共助・公助」がまずいけなかった。何故なら国民に自己責任を押し付けたように感じられたからである。背伸びをしてしまった。人間には持って生まれた性格と言うものがあり、それは決して治らないものである。唯救いはある。次の行動に間を置き、意識した行動をとれば多少治るからであるが、それを持続するにはかなり大変であるが出来ない訳ではない。今後、菅首相が取るべき道は、常にそれを意識して行動する事だろう。でなければ今秋の衆議院選は大敗し、下手すれば下野も考えねばならないだろう。