中日から日ハムで長距離打者として活躍した大島康徳さんが逝った “闘将”星野仙一さんからNHKで勉強しろと言われたそうだが、同感である

 中日の主力打者として活躍し、移籍した日本ハムでは監督も務めた大島康徳さんの訃報から2週間あまりが過ぎた。しかし、依然として、がんと闘ったその生きざまに称賛の声が絶えない。現役時代は暴れん坊のイメージ。”球界の天皇”と言われた金田正一さんにも遠慮なく発言した。その一方で若い選手には愛され、親しまれた男。ここではそんな大島さんと”闘将”星野仙一さんとの秘話を披露したい。

 

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 素顔を知る人から「瞬間湯沸かし器」と言われた大島康徳さんが70歳の若さで逝ってしまった。

 

 2017年2月に大腸がんであることを公表。ステージ4で余命1年と宣告されたという。その後、解説者の仕事をこなしながら抗がん剤治療の過程を自身のブログで報告し、多くの人に勇気を与えた。

 

 「俺は病気に負けたんじゃない、俺の寿命を生ききったということだ」

 

 最後に綴られた言葉は奈保美夫人によってアップされたもの。無念さを受け止め、実に大島さんらしい去り際だった。

 

 私は個人的には親しくはなかったが、親交のあった星野仙一さんがかわいがっていたことから大島さんは気になる存在だった。こんな場面に遭遇した事を覚えている。

 

 確か、中日からトレード移籍した日本ハムで選手生活にピリオドを打つ年だから1994年のこと。仙ちゃんが利用していたホテルのサウナで大島さんと一緒になった。どうやら2人は約束していたようだった。

 

 そのころの大島さんといえば、中日でも日本ハムでも若手選手に慕われる一方、頑固者で、しかも媚びを売るのが大嫌いなタイプ。首脳陣から煙たがれるような存在だった。そのことを仙ちゃんは心配していた。生前に、私はこんな話を何度か聞かされたことがある。

 

 「あいつは社交的でないからな。もう少し上手に立ち回らないと。いい意味でも悪い意味でも自分の信念を貫く男。何とか監督にさせてやりたい。そのためにNHKで勉強させたいんだ」

 

 サウナでの会話はこうだった。私は横で聞いていた。熱くて汗が吹き出していたが、その場を離れず、耳をそばだてた。

 

 「NHKで社会勉強しろ!ギャラは高くはないが、必ず監督の道につながる。俺の言う通りにしろ!俺がそうだったんだ」

 

 仙ちゃんはマジな顔でNHK入りを勧めた。脅し、といっては語弊があるが、現役引退後に巨人V9監督の川上哲治さんから伝えられた言葉をそのまま大島さんに話した。

 

 「いや、ぼくの性格ではNHKには向きません。テレビの解説なんてとんでもない。迷惑を掛けてしまいます。それに監督の器ではないです」

 

 大島さんは”拒否”したが、最終的には折れた。そのとき、仙ちゃんはこうも言っていた。

 

 「俺はお前が憎くて放出したのではない。チーム改革のためだった」

 

 最初の中日監督時代に星野さんは大なたを振るった。86年オフにロッテから大物、落合博満さんを獲得。そのとき、愛弟子の牛島和彦さんら4人をトレードで放出した。87年オフには好きなタイプの大島さんらを日本ハムへ。2対2トレードだった。

 

 牛島さんは後日談としてチームメートで先輩の大島さんから「お前の年齢なら俺ならトレードを受けるという言葉で背中を押されて決めました」と明かしているが、翌年、トレードを言い渡された大島さんも「牛島に言った手前、俺も潔く日ハムへ行くことにした」と振り返っていた。

 

 星野さんが道を切り開いてくれたおかげか、大島さんは2000年から3年間、日本ハムで指揮を執った。成績は1年目の3位が最高だったが、3年間で何と3度の退場処分。闘将、星野さんに負けないほど「熱い男」だった。

 

 最後の仕事は6月12日。奇しくもNHKBS1メジャーリーグ中継の解説だった。日本ハム時代の背番号「11」を引き継いだエンゼルス大谷翔平が二刀流で出場した試合だった。

 

 声こそかすれがちだったが、野球愛を感じさせる解説だった。今回、サウナでの一件が甦ったのも、大島さんの人間的魅力を感じたからだ。

 

 いまごろ、星野仙一さんとあの世で野球談義に花を咲かせているに違いない。

 

 合掌。

 

(まいどなニュース特約・吉見 健明)

 

これ「大島康徳さんをトレードで放出した星野仙一さんが名古屋のサウナで語ったこと」と題したまいどなニュース 2021/07/18 21:00の記事である。

 

 

私は星野仙一さんからNHKで勉強しろと言われた言葉が凄く印象的で共感を持っている。例えばテレビ放映視ても、NHKと民放ではまるっきり違うのが良く解る。ドキュメンタリーとバラエティの違いと映る。野球放送はそれこそ点の取り合いで、主人公の選手は必死で戦い、それこそ人生のページの如く真剣に戦う。それは正に死闘と言え、そこには「やらせ」等一切ないのである。だからその様はドキュメンタリードラマと言える。一方民放は互いの野球の戦いは面白おかしく、所謂見世物としてのショーとの見方であり、スポンサーに最大の気遣いである。だからある意味バラエティと言えるのだ。野球選手から野球監督への転身を考えるのなら試合をショー的に見るよりドキュメンタリードラマに見るか仕立てた方が指導者としての糧が有効に見える。だから故星野仙一さんは将来の監督候補の大島康徳さんにNHKで勉強してこいと言ったのでは私は思っている。