安倍政権の実質実務者菅官房長官が後継宰相となり安倍政治継承となればかなりリスクがつきまとう?

 先月のこの欄で最長政権の終わりが近いような原稿を書いたところ、すぐに安倍晋三前首相の退陣表明があった。いささかびっくりしたが、私に秘密の情報ルートがあるわけではなく、全くの勘の産物である。安倍氏の病院通いもさることながら政権全体の勢いの衰退が、鈍感な私にさえそうした判断を促したのであろう。

 その後は本県出身で官房長官だった菅義偉氏の急浮上に日本中が驚かされた。派閥の代表が政権の座を目指し競い合うというかつての常識からすれば、無派閥の菅氏を主要派閥が競うように支持し合うと     いう光景はやや異様に見えたであろう。

 しかし、政治の究極の目標が政権を握り、運用することにある以上、その能力のある人を見分けることが何よりも大事であって、菅氏はこの点で圧倒的に実績があると判断されたのである。どんなに大きな派閥の代表者であっても、この能力がなければ政権も政党も自滅してしまう。政治家にはさまざまな能力が求められるが、今回は「仕事ができる」ということが突出した判断基準となった。

 従来、首相になるためには重要閣僚を務めることが条件とされてきた。官房長官ポストが最も重要なものと考えられるようになったのは、「仕事ができる」ことが判断基準として浮上したことと関係している。そして言うまでもなく、コロナ禍の社会では何よりも「仕事ができる」政権が求められる。従って、菅政権は今までのどの政権よりも「仕事をする」ことを運命づけられた政権である。

 もう一つ、今度の新政権の発足に際しては「安倍政権の継承」ということが言われ、菅氏はこの意味で後継にふさわしいといった議論が多かった。これは安倍政権の支持者を菅氏支持へ誘導する最も手っ取り早い方法でもあった。この点で菅氏は対抗馬の岸田文雄石破茂両氏を圧倒したことになるが、継承ばかりでは新政権の意味がない。

 外交政策や財政金融政策では文字通り「安倍政権の継承」でいくところもあるであろう。だが、菅氏が掲げる規制改革やデジタル化を軸にした行政改革などは、安倍政権が成果を上げられなかった領域に重点を置くことを宣言したもので、単純に継承と言うわけにはいかない。

 また、政治家たちが「安倍政権の継承」という言葉を口にする場合、その意味するところは複雑であろう。安倍政権時代、権力は官邸官僚に集中し、党に基盤を置く政治家たちの発言力に陰りが見られた。そうした在り方を継承してもらいたいと思ってはいないであろう。「安倍1強」体制は政府と党の関係の在り方について一つの極端なモデルを示したが、新首相にとっても自民党との関係はなお流動的であるのは避けられない。

 政治家たちが菅政権について「安倍政権の継承」を口にする場合のもう一つの含意は、菅政権は一種の暫定政権であるという発想である。周知のように、自民党総裁任期は来年9月までの安倍前総裁の残任期間であり、来年の総裁選挙は既定の事実である。つまり、ポスト安倍選びの本番は今年ではなく来年だというのが、「安倍政権の継承」の意味するところである。もちろん、菅氏は暫定政権論を明確に否定しているし、「仕事をする」ことによって暫定政権論を抑え込むべく必死の努力を続けることであろう。

 発足時の菅政権に対する各種世論調査の支持率は大方のところ史上3番目に高いという。早速「支持率が高いうちに解散したららといった声も聞こえてきそうであるが、今のところ世論は政権に「仕事をする」ことを求め、総選挙は来年10月の衆院議員の任期満了の際で構わないというのが大勢である。いずれにせよ、コロナ禍がどうなるのか、ワクチンがどうなるのか、東京五輪パラリンピックがどうなるのか、何よりも国民の生活がどうなるのか、といった具合に未曽有の不確実性が新政権の前途に横たわっている。

 そうした状況を目の前にしながら、仕事師を名乗る政権がご祝儀(発足時の支持率)の多寡に右往左往していては笑われる。「仕事をする」政権とはどのようなものなのか、とくと見せてほしいものである。  

 

 

これあるローカル紙の9月29日(火)の「菅政権の発足に当たって」と題した元東大学長佐々木毅さんのコラムである。

 

 

今後、自カラーを出そうとした場合、政策全てが前政権との兼ね合いから自己矛盾・自己否定につながる恐れが大になるだろう。それをどう乗り切って行くかが重要なターニングポイントとなろう。一歩間違えば、来年の残任期まで持たずに極端な短命内閣となるは必定であろう。