ある自衛隊員の思い・・・・被災地での救助作業に従事して(その2)

昨日よりの続きです。
 

 一体どこから来るのか、自衛隊員の半端ではない使命感
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5688
2011.03.22(Tue)  桜林 美佐
 「自分が行きます!」
 全ての隊員が口を揃えた。福島第一原発に放水をするため、陸上自衛隊のヘリコプター「CH-47」が出動することになった時のことだ。
 「任せろ、これくらい大したことはないさ」「今、無理しなくてどうする」被曝覚悟の作戦にもかかわらず、そんな声があちこちから聞こえてくる。
 同原発では、3月14日に3号機で放水作業中に水素爆発が起き、4名のけが人も出た。その中には、中央特殊武器防護隊長もいた。事故に遭った隊員は後送されるのが通常だが、隊長は下がることを強く拒んだという。
「あの、温和なアイツがそんなことを・・・」同期の幹部自衛官が絶句した。とても、そんな無理をするタイプに見えなかったが、何が彼にそう言わせたのだろうか。
 原発への放水作業だけではない、被災現場での救援でも厳しい状況は同様だ。氷点下の気温の中で作業を続けるが、燃料を使うわけにはいかないと、暖をとることもない。持っていた隊員用の携帯糧食を、迷うことなく被災者に渡す隊員ばかりだという。
 空腹の中で作業を終え、ドロドロになった戦闘服を脱ぎ、翌日、またその同じ服を着て出ていく。それは「昨日の記憶を背負いながら行く」ことでもある。
 目を瞑ると、目の当たりにした遺体の残像が浮かんでくる。それは阪神・淡路大震災の時も同じだった。
 当時、若かった隊員が、現在は曹長などリーダーになっており、その経験からか、誰が命令したわけでもなく、夜は5~6人の作業部隊が車座になるのだという。
つらかった光景、ひどく悲しかったことなど、黙々と作業をし続けたその日の全てのことを声を出して吐き出し、そして泣く。やがて、明日も任務を精一杯やろうと誓い合って、一日を終えるのである。
 東北の隊員は、全国から派遣されている部隊を気遣い、申し訳ないという気持ちと、自分たちは、一層頑張らねばならないという思いがある。しかし、彼らは被災者でもある。家族や肉親を失っていたり、今なお、愛する人が行方不明となっている隊員も多い。
 遺体を発見した時に「自分の家族では」という思いが頭をよぎっても、任務に私情は挟めない。
 「今、行かなければ一生、後悔する」
 救援活動の中心となる隊員は、19歳から25歳くらいの若者ばかりである。中には地元で知られる「ワル」だったり、不良グループのリーダーをしていたような隊員もいる。それを40~50代の、いわば「オヤジ」たちベテランが支えている。
 「人生経験も未熟で感受性豊かな世代が、人の生き死にを目の前にして、まして肉親の所在も分からないままなのに、感情を抑え続けて、心が折れないはずがありません。彼らは制服を脱げば普通の若者です。気持ちを打ち明ける時間をつくることは、大事なんです」
 収容した全ての遺体に手を合わせ、遺体安置所まで運ぶことが自衛隊の任務だ。彼らは安置所に入り、自分の家族を探すことはできない。入り口で、運び込んだ遺体の冥福を祈り、また現場に戻っていく。
 また、多くの隊員が妻や子を残して出動している。残された家族はさぞかし心細いだろうが、「この国難に弱音は吐けない」と、気丈に家を守っている。
 自衛官の死亡・行方不明者は計3名。空自・松島基地の隊員1名が死亡し、陸自多賀城駐屯地(第22普通科連隊)所属の陸曹の死亡が確認された。
 行方不明の隊員もいる。最後まで避難誘導し、津波に飲み込まれるのを住民が見ている。
 仲間や家族の死に直面しても、今日も活動は続いている。すでに生存可能な時期を過ぎ、遺体を安置所に運ぶことが続くが、担架なども不足しているため、おぶって運んでいるという。
 予備自衛官も投入されることになった。「今、行かなければ一生、後悔する」と言う息子に、母親は「家のことは私たちがなんとかするから」と言って送り出したという話も聞いた。
 阪神・淡路大震災を経験した自衛官は言う。「日頃、いろいろと問題を起こすヤツもいますが、国難にあたってはすさまじい使命感でやっています。かつて、この国を守るために特攻隊で散華したのも若者たちでしたが、今、被災地で活動している彼らに重なります。彼らと同じ制服を着ていることを誇りに思います」
■初めて敬語でメールを送ってきた娘
 地震発生以来、東京・市ヶ谷の防衛省では、陸海空の自衛官が戦闘服姿になり、臨戦態勢でそれぞれの任務に当たっている。多くが一度も帰宅していない。
 労をねぎらうと「現場はもっと大変ですから」と言い、すぐにでも現場に行き、共に活動したいと口を揃える。
 19階建ての庁舎では、節電のために皆さんが階段を上り下りする姿が目立つ。慌しくすれ違った叩き上げのベテラン自衛官が、ふと立ち止まり、振り返って言った。
 「そういえば、娘から初めて敬語でメールが来ましたよ」とちょっと恥ずかしそうに言った。
 その内容は、「日本に生まれ、自衛官の娘に生まれて良かったです。お父さんを誇りに思います」とのことであった。
 「明日から、現場に行ってきますよ」。そう言って、すぐに階段を駆け上がっていった。
 復興に向けて、自衛隊の戦いはまだまだ続く。
---(転載ここまで)---
 マスコミではほとんど報道されない自衛隊の懸命の活動ですが、私たち国民は知っておくべきだと思います。
 東アジア黙示録 さんにも自衛隊の震災後からのご活躍を記事にされていました。ぜひこちらもご覧ください。

 3月13日Theサンデーの報道番組の中で救出を待っている家の二階ベランダで自衛隊員が救出作業をしている中で、一人の隊員が喫煙しながら見ている様子がTVに出ていました。こんな時にタバコをすっている神経がわからない。 とした投稿記事が注目された。
参考までに、それに対するコメントを載せてみたいと思う。
被災地の救助活動って言ってテレビなどで報道していますが、実際には生きて救助されている人の数より死体で発見されている人の数の方が多いですね。幸いにも生存者が発見されてその喜ばしいシーンがテレビで報道されましたが、死体で発見されている人の数は数千人。災害地の死体って傷んだものも多いようです。捜索中に人の一部が出てきたりもします。下半身がない死体とか、内臓が出てきていたり、脳みそが出ていたり、足がみつからずさがしたり、腕をさがしたり。脳みそや内臓なども手で回収するんでしょうね。それに、匂いもえげつないらしいです。そーいった場所で活動した方の証言では3日間ごはんが食べれなかったそうです。無理に食べてもすぐもどしちゃうと言ってました。しかし、逆にタバコは美味しく吸えるんですね。不思議なものです。今までの災害派遣は、長期化すれば交代要因が来て、先に活動していた自衛隊員は自宅に帰れたと思いますが、今回は陸上自衛隊10万人体制と言っていたので、交代も何も全員で活動している状態ですね。これから先も行方不明者の捜索活動が続けられるでしょう。多くの死体も発見され、回収されていく事と思います。真っ先に被災地に災害派遣されて一週間が過ぎ、まだまだ活動を期待されている自衛隊のみなさん頑張って下さい。悲惨な被災地で地獄とも言える状況下で食事も喉を通らないと言う隊員も居るかと思いますが、鍛えぬかれた強い精神力で頑張って下さい。活動中にタバコ吸ったくらいどってことないと思います。
投稿日時 - 2011-03-19 14:04:40
マスクをしていても全然臭いが体に染み付いて、抜けません。でもこれが自衛隊員の任務なんです。今のタバコの事でも、2階にいる被災者が救出してもらう為のお礼に、一服と出されたのかも知れません。
投稿日時 - 2011-03-13 10:17:31
隊員だって高ストレス下での作業です
どこかでストレス発散をしなければ倒れる危険だってあります
自衛隊員だから24時間365日死ぬまで働けと言っているのでしょうか?
投稿日時 - 2011-03-13 10:12:54
何もしていない人間が、救助活動している人間を非難する資格はない。
投稿日時 - 2011-03-13 09:56:28
待ち時間に気を紛らわしたりしていたのでしょう。
方法は人それぞれです。
活動自体をちゃんとしてくれているのですから、
文句を言うほどのことはないと思います。
投稿日時 - 2011-03-13 09:49:39
以上です。